剣王の章:失われた過去

もう、これで何年たっただろうか。記憶を失って初めて目覚めたあの日のことがまだ昨日のように思い出される。

神話生物の力を人間に付与する実験。そんなものが違法に行われ、俺はその被験者となっていた。そのせいもあり、俺は記憶喪失になった。記憶を失った俺は施設の人間に実験室へと連れ出されて行く途中でたまたま隣の牢屋に入れられていた銀髪の女の子が目に映った。不思議と目が離せなかった。それほどに可憐で、美しかったのだ。
植え付けられた知識が、これを一目惚れだと言った。
この子を助けたい。この子はここにいてはいけない。
そんな言葉が頭の中で浮かび上がった。そして、その言葉を実現すべく、とある秘密結社からのスパイだと言う、明るい茶髪の女性、鳴神翼なるかみつばさ の提案に乗った。彼女を、メリッサ・スチュアートを最優先に助けるという条件付きで。
そのあとは、俺の力が暴走しながらも、メリッサを救うことができた。これはそのあとの物語。

施設から出たのはよかったが、俺には戸籍が無い。記憶を失い、俺の持つ力が関係している以上、俺の姿が本当の姿なのかどうかもわからないため、戸籍を調べることもできない。それが今の俺だ。
そんな俺を翼さんが養子として引き取ってくれた。彼女の所属している組織的には養子としてのほうが戸籍を作りやすいらしい。彼女が所属している秘密結社、『オルトロス』は、世界の均衡を保つ為に合法ななことも非合法なこともしている。施設脱出の際に協力した俺もそこで働くこととなった。ついでと言ってはなんだが、メリッサもそこでともに働くことを志願したらしい。個人的にはうれしいが、彼女は何を考えているのやら。
そして、俺に新しい名前が与えられた。今までは【NT-02】としか呼ばれていなかったので、個人的にはうれしい。翼さんの養子ということで苗字は鳴神。そして肝心の名前だが・・・
「うーん。名前か・・・私の名前と関連した感じがいいかな・・・?」
翼さんがそう考えていると、名案が思い付いたと言わんばかりに急に手を叩く。
「メリッサちゃんに決めてもらったらどう?」
「は?」
そんな提案に対して俺は少しばかりの驚愕と軽い混乱を引き起こした。名案というか、ただの他力本願では?と思ったのも束の間、メリッサに名前をもらえるという期待が心を満たした。感情の名前が俺もいだせなく、この感情に困惑する。そんな俺に翼さんが提案した理由を説明する。
「いやさ、君ってさ、メリッサ好きでしょ?だったら好きな子に名前をもらったほうがいいかなって。」
「は?」
俺の返答はさっきと変わらなかった。なぜなら翼さんの言っていることがわからなかったからだ。俺は『好き』という単語や意味は知っている。だが、過去を失った代償は大きく、感情とその名前が一致しない。これが『好き』という感情なのか。確かなことはただ一つ。俺はメリッサを守りたいと強く思っている。その原動力となるものが『好き』という感情なのかはわからないが。
そうして、俺はメリッサに名前を付けてもらうことにした。
「そうですね・・・では、『颯真そうま 』というのはどうですか?『颯』には風が巻き起こることを表します。そして『真』には真の姿という意味があるので、記憶を失いながらも風が巻き起こるかのように立ち上がったあなたの今の姿が本当の姿である。といった感じで。記憶を失くし、今の姿が本当の姿かもわからないあなたに自信をつけてあげられたらなと思い、考えてみました・・・どうでしょう、お気に召しましたか?」
メリッサの考えは俺が今まで不安に思っていたことを見透かしているかのようなものだった。当然、俺はその名前を受け入れた。
「ああ、いいな。それ。よし、それじゃあ、今日から俺の名前は『鳴神颯真なるかみそうま』だ。」

五月五日。この日俺は、鳴神颯真は名前を授かり、本当の意味で誕生した。

しかし、俺には気がかりなことがあった。メリッサの口調だ。施設にいた頃は敬語は最低限で、ここまで堅苦しくなかったはずだ。それを本人に聞くことは俺にはできそうになかったため、翼さんに聞いてみた。
「翼さん。メリッサの口調というか態度に関してなんだが・・・」
俺がそう切り出すと、翼さんは真剣な表情を浮かべ、話してくれた。
「やっぱり気づくよね。態度が明らかに施設の時とは違うって思ったのかな?まあ、なんにせよ、いつかは教えるつもりだったしね。あの子はね、『フェティッシュ』を発症してる。それも、颯真君に対してね。」
翼さんの言う『フェティッシュ』とは簡単に言えばある対象への異常なまでの執着、その断片への偏愛した態度のことだ。よく○○フェチなどと言われることもあるが、そのフェチというのはここからきている。それを俺に対して発症している。理由はなんとなく予想がつく。
「メリッサちゃんは長年実験という名の拷問を受けてきた。颯真君みたいに記憶を失くしたわけでもないから、何年間もの拷問を受け続け、そのすべてを彼女は憶えている。普通の人間であれば正気を保っていられず、廃人にでもなるのがオチだけど、彼女の正気度が尽きる寸前で、君というヒーローが現れた。君に執着するには十分すぎる理由でしょ?そして、今の彼女は君に執着し、依存することで正気を保っている。だから、態度が変わったのかもね。颯真君に失礼なことをしてしまえば、自分は捨てられるかもしれない・・・ってね。」
そのすべてを聞き、俺は完全に納得した。普通なら、彼女と一緒にいられる口実ができたなどと浮かれるかもしれないが、俺にはそんなことはできなかった。彼女と一緒にいてそれが本当に彼女の為になるのか・・・と。
「勘違いしないでほしいんだけど、あの子に必要なのは君という心の支えだ。彼女と一緒にいることは間違いなく彼女の為になる。君がいなければ、事態は悪化するよ。だからさ、あの子と一緒にいられる口実ができたって喜んでおけばいいんだよ。」
翼さんは俺の心を読んだかのようにそう言った。俺はその言葉の通りにするべきなのだろう。ならば、まずは俺がメリッサと一緒にいるということを彼女に証明してやれる何かが必要になるはずだ。俺があいつの前からいなくなるなどという不安を抱かぬように。
「そうだな、翼さんの言う通りだ。それに、メリッサと一緒にいられるのはうれしいしな。」
「そう来なくっちゃ!」
俺の自信に満ち溢れた言葉を聞き、翼さんは明るい声でそう言った。そして、俺は名案を思い付く、
「翼さん。俺に一つ考えがあるんだけど。」
俺がそう言うと、翼さんは今一度真剣な顔に戻り、聞き返してくる。
「なにかな?手伝えることがあるならバンバン手伝うけど。」
俺は自分の考えを翼さんに伝えた。
「メリッサを俺専属のメイドにする。」
「え?」
俺の考えに一瞬思考が停止した様子の翼さんだったが、俺の真意を理解したのか、納得したように頷く。
「あー何とか理解はできた。なるほどね、メイドとして身の回りの世話をさせることによって颯真君にはメリッサちゃんが必要だと思わせる。一瞬君がそういう性癖の持ち主なのかと勘違いしたけど・・・まあ、そういうことならわかった。メイド服の用意は任せてね。」
そうして、俺はメリッサに俺のメイドになってくれと頼んでみた。もちろん、俺の真意は隠して。すると、彼女は、
「はい。わかりました。では私はメイドとしてあなたに忠誠を誓いましょう。これからよろしくお願いします。颯真様。」
と誓ってくれた。

その後・・・
「颯真君!メイド服できたよ!そして着替えたメリッサちゃんがこちら!じゃじゃ~ん!」
とハイテンションな翼さん。服を着替えたメリッサを俺に見せてくれた。しかし・・・
「・・・少しだけ文句を言いたい。ブリムが白い件についてだ。」
俺がそう言うと、翼さんとメリッサはきょとんとした表情を浮かべる。ブリムとはメイドの頭につけてある装飾品のことだ。
「銀髪に白いブリムはどうかと思うぞ。普通は黒だろ!そのほうが銀髪が映える!」
俺がそう熱弁すると翼さんが
「ご、ごめん・・・うん、すぐに準備するね・・・」
としょんぼりとしてしまった。
「颯真様。別に私はこのままでも・・・」
とメリッサが俺に言ってくるが、
「悪い、メリッサ。お前が良くても俺が良くないんだ。お前にはお前に似合う最高の服装を着させてやりたいんだ・・・」
そう、俺はあの牢屋の中で薄汚い格好のメリッサを何度も見てきた。だからこそ、あの場所から解放された今だからこそ、メリッサに似合う最高の格好を与えたい。それは常日頃から思っていたことだ。
こうして、メリッサは黒いブリムを頭に付け、整ったきれいな格好のメイドとなった。
「そういえば颯真君、光牙こうがくんが君たちの為の家を用意したってさ。」
光牙というのは秘密結社『オルトロス』の社長のことだ。フルネームは南雲光牙なぐもこうが。彼は身寄りのない俺たちの為に住居を用意してもらっていた。
「どんな家なんだろうな。」
俺がそうつぶやくと、
「すっごいところらしいよ。」
とだけ何かを企んだような顔の翼さん。そうして翼さんに案内されて家へ向かった。そこにあったのは、
「でっか・・・」
「確かに・・・とても大きいですね。」
俺とメリッサはその大きさに驚いていた。口が開いたまま閉じなくなるという感覚を理解した。その家は屋敷というレベルの大きさだった。
「二人暮らしにしても大きすぎる気もするけど・・・まあ、いいよね!二人の拠点は今日からここになるから!頑張って!」
と激励する翼さん。大きすぎるという言葉で表していいものなのか。それよりももっと大きいだろう。
だが、ここでの生活を楽しみにしている自分もいる。今までは『オルトロス』の拠点で過ごしていたため、少しばかり肩身が狭かった。だが、ここは正真正銘俺たちの家だ。他人に気を遣う必要はない。
「まあ、とりあえず、やれるだけやってみようか。」
と、俺がメリッサに言うと、メリッサは優しく微笑み、
「はい。これから一緒にがんばりましょう。」
そんな会話をしていると、翼さんが家の鍵を渡しながら話しかけてきた。
「はい、これがこの家の鍵だよ。それより、二人とも、表向きの職業はどうするの?私たちの組織は表には出せないようなことをたくさんしている。だから表向きの職業が必要なんだけど・・・二人はできれば自営業できるのがいいかな・・・まあ、うちのメンバーの子が営んでるとこで働くのもありだけど。」
翼さんがそう話し終えると、俺たちは考えた。なにがいいのか。
そして、メリッサが提案した。
「探偵などはどうでしょうか。」
確かに、探偵であれば動きやすい。メリッサの意見はかなりいい線を行っている。だが、
「探偵ってなんか堅苦しいんだよな・・・もう方針的にはそれでいいんだが・・・いっそのことなんでも屋ということにするか。」
なんでも屋。物品を販売するわけではなく、その実態は探偵のようなものだ。響き的にはこちらのほうが柔らかくなった気がするだろう。
「なるほどね。いいんじゃないかな。なんでも屋。」
翼さんがうんうんと首を振り、賛成してくれる。
そうして、俺たちは表ではなんでも屋。裏では秘密結社の構成員。となり、新たな生活を始めるのだった。
「それじゃあ、これからなんでも屋としても頑張っていこうな、メリッサ。」
「はい!颯真様。」

 これが俺とメリッサが主従の契りを結び、新しい物語を紡ぐための始まりの物語。
これは阿弥陀籤あみだくじのように繋がった俺たちの運命の物語。
失われた者たちの物語ロスト・フラグメントが今、始まる。