あやなす輝石の夜光石・上

―OTHER VIEW―
 『破魔班』の現班長、鳴神颯真の部屋には一枚の写真が飾られていた。
そこに写っているのは、鳴神颯真と彼の最愛の女性、メリッサスチュアート。そして、その二人の肩を半ば強引に掴んでいるピンク髪の女性。
これは、この写真に秘められた、輝石の物語。
これは、前日譚ゼロより後の、前日譚。

―PAST SOUMA'S VIEW―
 「桜彩さあや。なんでお前は俺たちと肩を組んでるんだ。」
「いいでしょ、別に。この方が私たちの仲良し具合が分かりやすいんだし。」
「そんなものを写真に残してどうする。」
「宝物にする。」
「…あっそ。」
「お二人とも、そろそろシャッターが…」
「あ、やば。颯真、メリッサ。二人とも笑って!ほら、にーって!」
「はあ?なんでそんな―――っ!」
シャッターが切れる音がした。
この一瞬を切り取り、記録した音が。
「あはは。二人とも笑えてないじゃん。」
「笑えって言われて笑える奴なんているか?」
「笑い方が分からなくて…」
俺たちが見ているカメラの画面には、呆れ顔を浮かべた赤髪の男と、感情のこもっていない無表情を浮かべた銀髪のメイドと、その二人の肩を掴んで自身の方へ寄せ、笑顔を咲かせたピンク髪の女性がいた。
「ま、二人らしいと言えばらしいけどね。」
彼女は、その写真を慈しむように眺めた。
 この快活な女性こそ、『破魔班』の前班長、『羽石 桜彩はねいし さあや』。
俺の親代わりをしている翼さんとはまた違った距離の詰め方をしてくる。
例えるのであれば、翼さんから、酒癖の悪さ、ダル絡み、空気が読めない、無遠慮…などの要素をもろもろ消し去り、社交性のレベルを上げたような存在だ。
俺はそんな桜彩のことが苦手で………それでも、■■■だった。
 「桜彩、今日も手合わせを頼んでいいか?」
「んー?まあ、いいよ。」
ある日、俺は『オルトロス』本部の訓練室で剣の素振りをしていた彼女に手合わせして欲しいと頼み込んだ。
彼女は体格に反して大剣を主に扱う。その技術は本物で、俺が二刀流や短刀術などでスピード勝負をしようものなら、どっしりと構えて一切攻撃を通さず、ほんの一瞬の隙を突いて一撃で打ち負かす。
同じ大剣で力比べをしようとしても彼女の対応力と器用さが俺の追随を許さない。
その圧倒的な強さから組織内では『最高戦力』と呼ばれていた。
そんな彼女に、俺は『一度も』勝ったことが無いのだ。そう、一度も。
無論、今回も……
 「颯真、踏み込みが浅いよ!そんなんだと…こうやって…!」
「なっ…!」
彼女は素早い動きで大剣を地面に突き刺して俺の片手剣による一撃を止めると、その大剣を軸にして自身の体を宙に浮かせて俺の脇腹めがけて蹴りを与えてきた。
「痛ぁ……」
俺はその一撃に耐えきれずに尻もちをついた。
「それを喰らって「痛ぁ」で済むのは颯真くらいだよ。なんなら骨折させてやろうかと思ったのに。」
「おい。最後の一言はなんだ、最後の一言は。」
頬を膨らませる桜彩とそれに対して反抗的な言葉で噛みつく俺。これが、俺たちの日常だった。
 桜彩の凄さは剣技だけではない。剣が強いだけなら、彼女の二つ名は『最強の剣士』にでもなっていたことだろう。
羽石桜彩は、魔術の腕もトップクラスだった。一つも魔術を使えない俺と違って。
「ごめんね、地球外からの侵略者さん。これでチェックメイトだよ。『マスカレイド・ダイヤモンド』!」
ある日の任務。暗くて明るい星月夜の日。桜彩に同行した俺は、その凄まじい魔術を目の当たりにした。
―とても綺麗だった。
燦爛と煌めく宝石が大木のように枝分かれし、それが装甲の硬そうな異形の怪物の肉体を簡単に貫いた。それも、十体同時に。
「ま、こんなもんかな。颯真、撃ち漏らした奴ら、お願いね。」
「あ、ああ。」
俺はすぐさま狼型の怪物に変貌すると、桜彩が取り逃がした奴らを殺して回った。残っていたのは、五体だった……だったのだが。そのうちの三体は桜彩の魔術によって既に深手を負っていた。つまり、この日の任務で俺が倒したのは、実質的には二体だ。
単純に魔術が強いわけではない。彼女の対応力が尋常ではないのだ。ただ魔術が使えるだけだったら、あの怪物たちはもう少し生き残っていただろう。少なくとも、撃ち漏らした奴らは全員五体満足だったはずだ。
―俺は、そんな強さを持った桜彩に、憧れを抱いていた……多分。
 その憧れをいつまでも心の中に留めておくことはできなかった俺は、
「やっぱり、桜彩は強いな。」
と、その日の任務からの帰り道、ボソッと呟いた。
その言葉に、俺の隣を歩く桜彩が気づかないわけもない。
彼女は表情をこちらに見せないように前を向いたまま、
「そうかな。私は、そのうち颯真に抜かされると思ってるけど。」
と言った。
「お前、何言ってるんだ?確かに剣術ならいつかは越えられるかもしれないが、俺は魔術なんて使えない。そこで差が生まれるだろ。」
俺が反論すると、桜彩はクスリと笑う。何がおかしいのだろうか。俺は事実を述べただけなのに。
「颯真は気づいてないみたいだけど、颯真は私以上のポテンシャルを持ってる。それに、魔術だって、私と同じ結晶魔術ならいつかは使えるようになるはずだよ。颯真の適性は、そこにあるはずだから。」
「本当か?」
「ホントホント。私は颯真に対して嘘なんて吐かないからね~。」
訝しむ俺と、確信めいた声で楽観的な言葉をかけてくれる桜彩。
正直俺は、翼さんよりもこの人の方が俺の母親みたいだと感じていた。まあ、それを言えば、「私は翼ちゃんと違ってまだアラサーに突入してないからやめてくださーい。ま、翼ちゃんもまだアラサー初期だけど。」なんて言われるだろうが。
「はあ……なんでそんなにハッキリ言えるんだか。」
「うーん…根拠はないんだけどね。ただね、颯真は焦りすぎ。」
桜彩は肘で軽く俺の横腹をつついた。
「は?何を言って…」
「メリッサを守りたい。だからあの子よりも強くなりたい……それは分かるんだけどさ。」
「…………」
痛いところを突かれた俺は黙りこくってしまう。
「好きな子の為なら、なんでもする。そういうのはいいんだけどさ。背伸びをする必要はないんじゃないかな。」
桜彩は苦笑する。本当に、母親みたいだ。
 「ただい…」
「ただいま!」
屋敷…もとい俺とメリッサの家の扉を桜彩と一緒に開く。桜彩は俺たちの家に住んでいるわけではないのだが、かなり頻繁に俺たちの家に泊まりに来る。
それはそれとして俺の「ただいま」を遮らないで欲しい。
「おかえりなさいませ、颯真様。そしていらっしゃいませ、桜彩様。」
メリッサが玄関まで出てきてお辞儀で俺たちを出迎える。
「お夕飯の準備はすでに済ませてありますが、いかがなさいますか?」
「じゃあ、それが冷める前に頂こう。」
「そうだね。メリッサのご飯は美味しいし、できれば熱々のうちに食べたいしね。」
「かしこまりました。では、いつも通り、ダイニングまでいらしてください。私はテーブルに食事を並べておりますので。」
そう言って、メリッサは家の奥へと姿を消す。
俺たちは靴を脱いで家に上がり、メリッサに言われた通りダイニングへと向かう。
「ま、流石メリッサだな。」
「颯真にはもったいないくらいの従者なんじゃない?」
「……もったいないくらいがちょうどいいだろ。」
俺たちは半分呆れたようにそんな言葉を交わす。その理由は、ダイニングにあった。
先ほどテーブルに食事を並べ始めたはずのメリッサが、たったの十数秒程度でほとんど食事を並べ終えていたのだ。
「すみません、まだお飲み物の準備ができていなくて…」
メリッサが動きながら何か言っている。
「ああ。ありがとう。」
正直、数か月間この光景を見ていれば、いやでも慣れてしまうものだが。
「いやぁ…おいしそうだね~」
桜彩は『じゅるり』という効果音を鳴らしそうな表情を浮かべながら席に着く。
「いつもありがとな、メリッサ。」
俺はメリッサに声をかけつつ席に着く。
「いえ、颯真様のお役に立てることこそ私にとっては生きがいのようなものなので。」
メリッサはそんなことを言いながらお茶の入ったボトルと三人分のコップを持ってくる。
「すみません、お二人とも、お待たせしました。」
コップを並べ終えた後、メリッサもようやく席に着いた。
「メリッサも席に着いたことだし、そろそろ食べるか。」
「うん、そうだね。じゃあ…」
「「「いただきます。」」」
皆で手を合わせ、食事にありつく。
「やっぱり、みんなで一緒に食べるご飯は最高だね。」
「いつも言ってるよな、それ。」
「そりゃあね。皆一緒って本当に幸せなことだと思うよ。」
桜彩はメリッサの料理を一口含み、
「颯真、メリッサ。大事なのはね、どんな形であっても一緒に居ることだよ。」
また始まった。これは彼女の口癖のようなものだ。何かとつけてその言葉を俺たちに聞かせてくる。どこか消え入りそうな、遠くを見つめた表情で。
「思い合ってるのに離れ離れになるのは、寂しいだけだからさ。」
「それも、そうだな…メリッサと離れ離れって、想像するだけでキツイもんがあるしな。」
「そう言っていただけて光栄です。」
メリッサは表情を少しだけ綻ばせて俺の言葉に返答する。その後で、俺はボソリ
「……まあ、桜彩も…だけど。」
と呟いた。
「あれー?颯真、ついにデレ期到来?」
「独り言を聞くんじゃねぇ!」
「なるほど、これがツンデレか。解説のメリッサさん、今の反応どう思いますか?」
急に話を振られて困惑するメリッサだったが…
「えっと……とても可愛らしい…と思います…」
と言った。
「あはは!やっぱメリッサは分かってるねー!」
桜彩の楽しそうな声が屋敷に響き渡る。俺はこの時、恥ずかしいのになんだか心地がいいと感じていた。
やっぱり、この時間が、俺は好きなんだろう。
そしてこれが、どこにでもある、俺たちの日常だった。
きっと、こうやって毎日が過ぎていくのだと……思い込んでいた。
――プロローグ悪夢は、まだ始まってすらいない。

「というわけで、次の任務は『破魔班』の『エクストリーム』を主体に、『ノーフェイス』、『神行班』の『クリスタル』、『虚影班』の『フェンリル』。この四人で行ってもらう。」
本部の指令室に呼び出された俺と桜彩、支闇影狼はせくらかげろう佐倉雪無さくらせつなの四人は南雲光牙なくもこうが からその命令を下された。
「了解。確認だけど、例のヤバい犯罪組織の潜伏先を割り出して、根絶しにしてくればいいんですよね?」
桜彩が真剣なトーンで光牙さんに尋ねると、豪華なデスクに腰掛けた彼はゆっくりと頷いた。
「ああ、だが、今回は一筋縄ではいかないということだけは留意しておいてくれ。なんせ、邪神の力を持っているという噂があるからな。」
「ふーん…」
光牙さんの忠告を聞いた桜彩は顎に手を当てて少し考えると、鋭い目つきで光牙さんを睨みつけた。
「てことは、颯真……じゃなかった、『ノーフェイス』にも声がかかったのって、あわよくば邪神同士をぶつけて不穏因子を消そうっていう上の意向ですか?」
「……こちらである程度好き勝手やってもいいという条件がそれだったんだ。仕方ないだろ。あれでも政府の要人だ。上の連中のおかげで俺たちは『秘密結社』をやっていられるんだから。」
桜彩の怒りが感じ取れる。それに対して光牙さんは申し訳なさそうに背中を丸めた。
「まあいいよ。私が颯真を護るから。何があってもね。」
この会話を聞いている俺は正直居心地が悪い。
上の連中……つまりこの組織のスポンサーはこの国の権力者だ。彼らとしては違法な活動をしている組織を匿っているため、公になるような行動を避けてほしいと考えている。そのため、重要度の高い任務においてはよく口出しをしてくるのだ。それでも今回の任務で好き勝手を許したのは、この任務に俺を同行させれば、俺という危険な存在…神の力を暴走させた過去のある俺を、ここで消せる可能性があるからだろう。
「……颯真さん、お気になさらず。私も桜彩さんと考えていることは同じです。上が何を言おうと、私も貴方の味方ですから。」
雪無が俺に対して優しく声をかける。彼女は俺とメリッサに剣術の指南をしてくれることがよくあったため、俺たちはそれなりに仲が良かった。現段階で、俺と対等に話してくれるのが彼女だけだった。
だが、もう一人はその限りではなかった。
「ふん……まあ、足を引っ張らなければいい。羽石班長、『ノーフェイス』を作戦に投入しても問題はないんですね?」
支闇影狼。彼とは今回が初対面だが、愛想も悪いし、俺のことを毛嫌いしてそうな雰囲気ですらある。
「問題ないよ。私の弟子だもん。今はまだまだ未熟だけど、いずれ私を超えて最強になるんだから。」
「それならいい。では、俺は失礼します。」
影狼はそのままどこかへと行ってしまった。
「あー……まあ、影狼も悪い奴じゃないんだ。ああは言ってるが、お前の身を案じているだけなんだ。」
光牙さんが困ったように笑顔を浮かべて言った。
悪い奴じゃないならいいか……と俺は安堵しながら未だに拳を握りしめ、何かを考え込んでいる桜彩に目を向ける。すると、彼女は何かを思いついたように顔を明るくして俺に近づいた。
「ねえ、颯真。私とデートしない?」
「は?メリッサに嫉妬されるぞ。」
「第一声がそれなんだね……まあ、間違ってないけど。」
バカみたいなやり取りだった。俺達の仲なら、これくらいのノリがちょうどいいのかもしれないが。

 「ねえ、颯真。ここ、すっごく綺麗でしょ。」
「……まあ、そうだな。」
俺たちは海浜公園のベンチに隣り合って腰掛けていた。
時刻は夕方、まばゆい巨大な宝石が水平線の向こうに沈みかけており、空が茜色に色づいていた。
「私ね、好きな宝石が二つあるんだ。」
「どうした?藪から棒に。」
突然の語り出しに思わずツッコんでしまったが、彼女は視線を夕陽から外さず、話を続けた。c
「一つは、私が一番好きな宝石…ロードナイト。石言葉は『結ぶ愛』。人と人との絆を深める石なんだって。素敵じゃない?」
「………そうかもな。」
俺がそっけない言葉を返しても、彼女は表情を一切変えずに言葉を紡ぐ。
「そしてもう一つの好きな宝石は、個人的には颯真にピッタリだと思ってるんだけどね…」
「え?」
「ダイヤモンドだよ。色によって言葉は違うけど、一番オーソドックスな透明なやつの石言葉は、『永遠の絆』。メリッサと、永遠に途切れない絆を…愛を育んで欲しいしね。」
そう語る彼女の表情は、未来に期待を寄せる、無邪気で儚い少女のようだった。
「…そう思ってくれるのは嬉しいが、どうしてわざわざこんなところでその話を?」
「ああ、それはね、ほら、夕陽に照らされてキラキラしてる海面を見て。」
「……そういうことか。」
なんとなく、言いたいことは分かった。ありきたりな表現だが、あの煌めく水面が、宝石のよう…いや、ダイヤモンドのようだとでも言いたいのだろう。
「まあ、最近は颯真とこういう好きなものの話とかしてなかったから、ゆっくり話したいなって思ったのもあるんだけどね。」
「なんだそれ。」
そっけなく返したが、それは建前だということくらい、俺には分かる。
桜彩が本当に言いたいことなんて、俺には分かる。
「私ね、颯真のこと、好きだよ。まあ、恋愛的な意味じゃないけど。」
「……………。」
「メリッサの為に必死になれる颯真はカッコいいし、颯真の頭の良さに助けられたことだってある。まあ、もうちょっと愛想よくしてもいいとは思うけどね。」
「おい、最後まで褒めろよ。」
「あはは、ごめんごめん。」
桜彩は楽しそうに笑って謝る。
「とにかくね、メリッサほどの大きな愛情はないけど、私は颯真のことを自分の弟?息子?のように見てる。翼ちゃんには悪いけどね。だからさ……」
俺は夕陽に目を向けた。
「君は…君たちは、この世界にいてもいいんだよ。たとえどんなに偉い人たちが君たちの存在を否定したとしても、私は颯真たちの存在を認め続ける。何があっても…ね。」
そんなことだろうと思った。
上の奴らが俺に死んでほしいと思ってることを知って、俺が傷ついたとでも思ったのだろう。いや、自己満足か。自分が、俺のことを認めてあげたい。俺のことを認めていると分かって欲しい。そんな、他人の為の自己満足。
「だから、何度でも言うね。私は、颯真のことが大好きだよ。」
「………………そっか。」
本当は、言いたかった。この先の言葉を。
この言葉の続きを言わなかったことを…後悔した。