―MELISSA'S VIEW―
朝。私は一人になった部屋の中で身だしなみを整え、出発した。
外に出ると、清々しい朝の光が私を迎える。こんな世界でも、美しいとさえ感じるのは、きっと颯真様のおかげなのだろう。
「あら、メリッサさんではありませんか……って、お一人ですの?」
目の前には、金色の髪の毛を輝かせたフレイヤ様が立っていた。
「はい。一緒に寝ていたはずなのですが、起きたらいなくなっていました。」
私は淡々と返す。
「…はい?……もう一度言ってくださいまし。」
私の言葉が理解できなかったのか、フレイヤ様は眉間に皺を寄せる。
「昨日、私たちは同じベッドで一緒に寝ていました。ですが、目が覚めると、颯真様はいませんでした。たったそれだけのことです。」
何も言いよどむことは無いため、スラスラと言葉が出てくる。この話に一体、どんな問題があるというのだろうか。
そんな私の考えとは裏腹に、フレイヤ様の表情は焦りへと変化する。
「いや、何を淡々と落ち着き払っているんですの?それ、結構まずい状況ですわよ!」
声を荒げるフレイヤ様。私は冷静に歩き始める。
「ちょっと…聞いているんですの!?」
私はフレイヤ様の声を背に受けながら歩き始める。
「フレイヤ様って、意外と知力は低い方ですか?」
「なっ…」
私の後ろを歩くフレイヤ様の方からショックを受けたような声がした。ピキリと何かにヒビが入るような空気が漂う。
「メリッサさん。あなたは一体、何を考えて…」
私は足を止めず、前を向いたままフレイヤ様へ
「…貴方は、ここまでのほとんどが颯真様の想定通りだと言ったら、信じますか?」
と尋ねた。すると、フレイヤ様は
「…わざわざそう尋ねるということは、本当なんでしょう?」
と返した。
「そのとおりです。想定外は色々起きましたし、そのせいで颯真様はダウンしましたが、あの方の狙いはほとんど成功しているはずです。」
そして、私は足を止める。
「狙い…?それは一体なんですか?」
「見れば分かりますよ。そもそも、どうして颯真様は、ピンチとはいえ『セオリー・レッド・ダイヤモンド』なんていう大技を放ったのでしょうか。それも、一体にしか当たらない垂直の角度で。振り方さえ工夫すれば、二体同時に倒せたはずです。」
私は足を止めた建物の近くにとある人がいることを確認し、その人のもとへ近寄り始める。
「…まさか。」
「ええ、そのまさかです。彼は『あの技』を『垂直』に放ち、地面…つまりはこの世界へ直接撃ち込む必要があったんです。それも、世界の創造主に勘付かれないように。」
フレイヤ様が呆気に取られていることは見なくても分かる。あの時の颯真様の本当の狙いがミノタウロスではないことは、薄々感じていた。本当は隙を晒さないようにミノタウロスが一体になった時、そして、確実に倒せると思った時に撃とうとしていたのだろうが。
「さて、体調が悪そうですが、いかがなさいましたか?オーガ様。」
私は先ほどから建物にもたれかかり、顔色が優れないオーガに対して、嘲笑する。
「な、なんのことかな?誰だって、体調が悪い日くらい、あるだろ?」
明らかに汗の量が尋常じゃない。
「フレイヤ様、『セオリー・レッド・ダイヤモンド』は能力で引き出せる知識と理論のほとんどをを一撃に込める技…ということはご存じですよね?」
「ええ、もちろんですわ。」
「それでは、そんな一撃に乗せている情報をすべて、人に叩きこんだら、どうなりますか?」
「そんなの、尋常じゃない情報量に脳が耐えきれるわけが……」
フレイヤ様の言葉が消える。完全に理解したのだろう。彼の狙いが。
「この世界を創り、維持するのだって、膨大な情報量を脳に抱え込んでいるに過ぎません。何かしらの方法でそれを何とか支えているのかもしれませんが、そこにもっと沢山の情報が加わったら?処理しきれず、創造主に何かしらの負荷がかかるはず。」
「その負荷が、そいつの体調不良…というわけですわね。」
フレイヤ様は私の横に並んで、オーガを見下す。
「さっきから…何を言って…」
苦しそうにしながら、私たちを睨む。
「猿芝居は結構です。正直、私たちは最初から貴方が怪しいと思っていたんですよ。」
「な…に…?」
「最初の登場だって、いくら何でもタイミングが良すぎました。それに、明らかな戦闘初心者の動きだったのに、この街で最強格なのも不自然です。それに、フレイヤ様のことを見た時、明らかに動揺してましたよね?想定外のNPCがいたら、制作者としては驚くでしょうが。」
「…………」
オーガの顔が絶望に染まる。
「さて、言い訳があるなら聞きますよ?」
私たちの間に流れる空気が沈黙する。
十秒ほど待つと、彼はこのだんまりとした雰囲気を破る。
「…すごいね。流石だよ。俺が黒幕ってことも、この世界が本物の異世界ではないことも、あっさりと解いてしまうなんて…」
オーガは苦笑いを浮かべる。その目は諦めたわけではなさそうだ。
「第一、異世界だというのなら、日本語が通じること自体、おかしな話ですけどね。」
私がそう言うと、彼は辛そうな表情のまま高笑いした。
「確かに。確かにその通りだ!でも、それが分かったとて、どうする?君たちはここから出られない!」
「であれば、力ずくで貴方を叩けばいいだけのことでしょう?」
フレイヤ様が地面を蹴り、オーガへ向かって突撃する…しかし、
「妖術、第肆幕、不死鳥!」
炎を纏った男が突如現れ、フレイヤ様へ突撃する。
「……妖怪?そんな護衛を連れていたとは、流石に予想外でしたわ。」
フレイヤ様の声が背後からした。恐らく、時間を結晶させて回避したのだろう。
「はは…こいつは護衛なんかじゃないさ。利害が一致しただけの協力者だよ。」
フラフラなオーガは、その男の肩をポンポンと叩く。
「俺は、鳴神颯真に恨みがあってな。同じく鳴神颯真を邪魔だと思っているこの男に協力している…というわけだ。」
男はオーガを庇うように前に出る。
「その様子だと、無事に始末はできたようだね。」
「無論だ。不意打ちによる幕引きが直撃して耐えられるはずがない。」
二人の男が不敵に笑う。もうすでに勝ちを確信したかのような顔だ。
「…颯真さんが……やられた?」
フレイヤ様は動揺しているようだが、気にせずに私は彼らに問いかける。
「…で、本当の目的は何ですか?オーガさん。まさか、そちらの妖怪さんと同じく颯真様に恨みがあるというだけなら、もうこの世界を終わらせてますよね?」
この点に関しては、颯真様も予想できていなかった。いや、なんとなく勘づいてはいそうだったが。
「あ…いや…それは……」
急にしどろもどろになった。
「まあ、それならそれでいいんですけど……」
私はオーガを蔑みながらため息を吐く。
「…ところでメリッサさん?颯真さん、やられたらしいのですけど…」
後ろから私の肩を叩くフレイヤ様。
「…ちょっと何を仰っているか分かりませんね。」
「メリッサさん!?」
「ちょ、耳が痛いです。急に耳元で叫ばないでください。」
「あ…え…ご、ごめんなさい。」
私たちがそんな会話をしていると…
「ええい!茶番は終わりだ!そこの金髪!お前も倒してやる!」
私たちの身長の数倍はある大きさの甲冑騎士が、私たちの背後に現れた。
「この世界のラスボス…魔王だ!」
黒いオーラがあふれ出ているその甲冑は、私たちをいとも簡単に潰してしまいそうな勢いで、拳を振り下ろしてきた。
「…しょっぼい魔王ですね。本物の魔王に謝ってきてください。いるのかは存じ上げませんが。」
「メリッサさん。そんなことを言ってる場合ではないかと…」
「大丈夫ですよ。どうせ、こちらに攻撃は届きませんから。」
「はい?」
私たちが甲冑を見上げながら話していると、この場にいるはずのない男の声が聞こえてきた。
「創造:再現の法則……疑似・崩落事故!」
次の瞬間、甲冑が壊れ、中の黒い靄みたいな体とも言えない体が露わにされる。
「本当に中身しょぼいじゃないですか。」
私のツッコミが入ると、間髪入れずに
「化身『結晶を喰らうもの』………『終焉を失いし光』!」
巨大な黄金の結晶でできた龍がその黒い何かを塵も残さず消し去った。
「な…なんで…お前が…」
オーガと妖怪は目を見開く。当然だ。死んだと思った存在がそこにいて、驚くなという方が難しい。
「鳴神颯真…!お前は確かに俺が殺したはずだ!」
妖怪が光を失った黒い龍を指差すと、その龍は姿を人型に変え、本当の姿を見せる。
赤いポニーテール…ではない。紫色の組み紐で留められた赤いハーフアップの髪型をなびかせた、最高にカッコいい男性がそこに立つ。
「颯真様…その髪……」
颯真様は一瞬私に微笑みかけると、オーガたちをキッと睨む。対する彼らは驚愕、恐怖、憤り、憎悪…そんな感情が入り混じった表情で颯真様を見ていた。
「ったく、なんだその顔は?とんだ嫌われようだな……」
颯真様は一度ため息を吐くと
「そんなに鳴神颯真が嫌なのか?それなら、今回は特別にこう名乗らせてもらおう。俺は…………」
頬に幾何学模様を浮かべた颯真様は嘲笑し、ゆっくりと私たちに近づいてきた。
「メリッサの恋人だ!」
無駄にこっぱずかしいことを言ってくれる。颯真様らしいと言えばらしいが。
オーガと妖怪は唖然とし、フレイヤ様は安心したような、呆れているような苦笑いを浮かべた。
「さて、メリッサが時間稼ぎをしてくれていた間に、オーガの目的については大体分かった。」
「え?」
オーガの顔が青ざめる。そんなに知られたくないのだろうか。
「お前、メリッサが好きなんだろ。」
「……颯真様?正気ですか?」
流石に私も困惑した。頭の中がはてなマークでぱんぱんに詰められた気分だ。
「根拠はいくつかある。例えば…メリッサが単独で戦い始めるまで、ミノタウロスは俺しか狙わなかっただろ?」
「なるほど…あの時も思いましたが、確かに不自然でしたわね。逆に、メリッサさんの近くに居た私はメリッサさんを巻き込む可能性があったから狙えなかった…と。」
フレイヤ様の推測を聞いた颯真様は頷く。
「そしてもう一つ。この街と国の名前だ。引っかかったんだよな…初めて聞くはずなのに、妙に聞き慣れているような感覚に襲われたのが。」
颯真様は後頭部をポリポリと掻く。
「『アチュートス』と『モンバーレム』……それぞれアナグラムで『スチュアート』と『レモンバーム』…そしてレモンバームはメリッサという植物の別名だ。」
「つまり、合わせて『メリッサ・スチュアート』になる…というわけですわね?」
「…これに気づいたときは流石に鳥肌が立ったぞ。」
「実際、今すっごい怖いんですけど。というか…気持ち悪い…」
私は思わず一歩下がる。
「さて、ここまで話したわけだが…間違いはあるか?『大谷 岳』。」
「なっ―――!」
名前を指されたオーガの表情が青ざめる。
「お前の顔に見覚えがあるのになぜか思い出せなかったからな、『影響無効化の法則』を創造させてもらった。それでよーく考えたら思い出せたぞ。一度、俺たちのなんでも屋に依頼しに来ただろ?確か、引っ越しの手伝いで。」
「ああー…それでその時にメリッサさんに惚れたっていうオチですか。それでここまでするのはどうかと思いますけど。」
「確かセフィラム能力者で、能力は、妄想を実体化させる能力…だったか。それをこんなことに悪用するなんてな、バカバカしい…」
フレイヤ様と颯真様が蔑むような、憐れむような目でオーガこと大谷を見下す。
すると、彼は顔を真っ赤にしながら
「なんだよ!悪いかよ!そうだよ。俺はあの時メリッサに一目惚れしたんだ!こんなに可愛い人がいるのかって!でも、颯真が邪魔だった。お前がいるせいで、俺は必要以上にお近づきになれなかった!お前みたいな高圧的で無礼なやつなんかが、メリッサと必要以上に親しくしてるのが気に食わない!だから、俺はこの世界でお前に恥をかかせて、メリッサがお前から離れていくように仕向けたんだ!」
とてつもない勢いで捲し立てた。息を継ぐ暇もなかったように思える。颯真様の計略でもうボロボロなはずなのに、よくそこまで舌が回るな…と、そこだけ感心する。
「それと…そっちの妖怪。久しぶりだな。コードネームは『獄炎』…だったか?三年前、俺たちが潰した組織の最後の残党だな?」
颯真様は冷たく鋭い視線をその妖怪に向ける。私はそのことを知らないため、恐らく、あの一件だろうな…と推測することしかできないが、複雑な心境になる。
「ああ。俺はあの日から、ボスをお前に殺された時からずっと、お前への憎しみで気が狂いそうだった。そして俺は誓ったんだ。必ずお前に復讐してやる…と。」
熱のこもった瞳が颯真様に向けられる。
「だからお前は、俺を殺す機会を手に入れるため、俺のことを邪魔に思っている大谷と手を組むことにした…というわけだな?」
「そういうことだ。だが…それがわかったとしてどうする?お前には何もできないぞ。何か仕込んだようだが、この世界からは大谷の意思でしか出ることができない。制約がある中で俺と戦うしかないんだよ。」
勝ちを確信しているのか、不敵に笑う妖怪。だが、対する颯真様の口角も、上がっていた。
「…『セオリー・レッド・ダイヤモンド』を放ったのには、もう一つ理由がある。」
「は?」
颯真様もまた、勝利を確信していた。その理由となる声が、この世界を震わせる。
――『秘守術、兎ノ道、白銀世界ノ鬼』――
「創造『暴走制御の法則』。」
次の瞬間、何もない空間がガラスのように割れて、そこから白い影が現れる。
髪が白くなり、頭に角を生やした…犬兎様だ。
颯真様がずっと『理論武装』を発動させていたのはこれが理由だったのか…と納得する。
「待ってたぞ、犬兎。よく来たな。」
「あ、ああ…」
犬兎様はすでにフラフラだ。彼が行ったのは次元の壁を破壊するようなものであるため、反動が大きすぎるのだろう。世界の理を破壊すれば、それを修復しようとする復元力が全て犬兎様に襲い掛かる。それでもやってくれた彼に私は感謝の念を送る。
「とりあえず、お前らに関係発展の祝いの品を持ってきたから、それだけ渡したら俺、ダウンするわ。」
「お、おう……本当はこの世界ごと破壊して欲しかったが…まあいい。」
犬兎様は、背中に背負っていた二振りの剣をそれぞれ私たちに一振りずつ渡し、横に倒れた。
颯真様に渡したものは、鍔の無い短めの片手剣、そして私に渡したものは柄から刀身まですべてが真っ黒な刀だった。私の方の刀は、颯真様に頂いたアイオライト・ソードよりも頑丈な気がする。
「さて…上等な武器は手に入ったが、どうする?結局、この世界に犬兎を呼び寄せて破壊してもらう計画が崩れたんだが。」
私の方を見て困ったような表情を浮かべる颯真様。その向こう側には、こちらにこれ以上の手が無いと思い、安堵している様子の大谷と妖怪がいる。このままであれば、私たちは敗北するだろう。
だから………
「大丈夫ですよ、颯真様。今の私なら、やれる気がするので。」
「メリッサ?」
上手くいく保証はない。これは賭けだ。それでも、颯真様との生活を、颯真様の笑顔を守るために、私は、今地面に横たわっている彼が示してくれた可能性を、信じることにした。
――『夢見之魔皇』――