第三十五話:キミガタメノセカイ・上

―KENTO'S VIEW―
 颯真とメリッサが姿を消してから三日が経過した。もうすぐ四日目だ。
俺が事を知ったのは、槐と影狼さんからだった。
エラ・スチュアートの一件をようやく宮瑞から話してもらった槐が、宮瑞の依頼を受けてくれたお礼を言いに颯真の家に行ったところ、誰もいなかったらしい。槐は、定休日だったのでどこかへ出かけたのかとも考えたらしいが、家の扉の鍵が開いていたのを不思議に思い、影狼さんに相談した。そして、影狼さんから雪無さんをはじめとした各方面に聞いたが、誰も行方を知らないと答えた。極めつけに、誰が電話をしようとも、二人の携帯には連絡が付かなかった。
 『オルトロス』内部では誘拐事件の可能性が問われていた。一部では裏切りの可能性も示唆されていたが、記憶もなく、身分すら存在しない颯真を保護している組織に対して、颯真もメリッサも敵対する理由が無いため、その可能性は切り捨てられた。
 そして現在。俺はもぬけの殻になった颯真の屋敷の中に入り、月の光だけが降り注ぐ暗いリビングで膝をついていた。先ほど近くの百円ショップで購入してきた六面のサイコロを置いた机の前で。
「…デア・カプリス・アーレア様。信者でもない私ですが、どうか呼びかけにお答えください。」
俺が目をつむり、手を組み、祈るようにして言葉を紡ぐと…
「そんな大げさなことしなくても…私、出てくるよ?」
そんな可愛らしい少女の声が背後から聞こえてきた。俺は立ち上がり、振り返る。すると、そこには以前出会った時と全く同じ姿の小さな女神がいた。
「ありがとうございます。それで、要件なんですけど…その様子だと、分かってるようですね。」
俺の言葉にこくりと頷く。
「颯真くんとメリッサちゃんの行方を知りたいんだよね?」
「話が早くて助かります。二人の氏神である貴方なら、何か知っているかもしれないと思い…」
俺は焦り半分で縋るように口を回す。すると、カプリス様は申し訳なさそうに口を開く。
「ごめんね。私も詳しいことは分からない。でも…」
言いかけ、一呼吸置く。俺はその間で固唾をのむ。
「二人がいる場所なら、分かるかも。」
「本当ですか!?」
俺は夜だというのに大声を出してしまう。
「うん。数時間前の話なんだけどね、少し離れたところにある公園から、颯真くんのセフィラム能力の気配が急に出たんだ。それも、あのビルで戦ってた時の技と同じくらいの力が。」
ビルでの戦いというと、『セオリー・レッド・ダイヤモンド』のことだろうか。
「…とりあえず、そこまで案内してもらえますか?」
「うん。いいよ。着いてきて。」
そして俺は、カプリス様の案内に従い、件の公園へと向かうのだった。

 十数分ほど歩いたところ、遂に目的地へと着いた。そこは寂びれた公園で、周りには住宅街どころか住宅もない寂しい場所だった…のだが。
「あら、犬兎さんではありませんか。こんばんは。」
突然声をかけられたことに驚き、声がした方をみると、公園の街頭の下に佇む『神行班』の班長、佐倉雪無さんがいた。
「せ、雪無さん…?どうしてここに?」
俺が驚きながらそう尋ねると、雪無さんは穏やかな笑みを浮かべたまま、
「『仕事』ですよ。まあ、同業者ですし、教えましょうか。」
と言って、お面を付け替えるかのようにキリっとした真剣な表情に変貌させた。
「三日前からここで、不審なセフィラムエネルギーが放出され続けていることが確認されているんです。」
「つまり、それを調査しに来ている…と。」
「その通りです。」
首肯する雪無さん。確かに、言われてみるとこの公園からはセフィラムエネルギーが放出され続けているのを感じ取れた。だが、颯真のものではない。
「まあ、数時間前に強大なエネルギー反応があったくらいで、他には何も変化はないんですけどね。」
恐らく、カプリス様が感知したものと同じだろう。やはり、ここに颯真失踪の秘密が眠っているはずだ。
「ところで犬兎さんはどうしてこちらへ?」
「あ、ああ…実は…」
と、俺はカプリス様のことを説明しながら、ここに来るまでの経緯を簡単に話した。
その間、雪無さんは左手を顎にあて、考え込みながら聞いているようだった。
「という感じです。」
俺が説明を終えると、雪無さんは何か確信を得るように頷く。
「なるほど。大体わかりました。」
「え、本当ですか!?」
俺が食いつくように言うと、雪無さんは苦笑する。
「ええ。というか、犬兎さんも少し考えれば分かることだと思いますよ。ヒントは、三日前からずっとここには『神行班』がいた…ということです。」
そう言われて俺は考え込む。この三日間、ここには誰かしらがいた。でも、ここで颯真の能力の発現が確認されている。だが、今の今まで颯真の目撃証言は無かった。そして、放出され続けているセフィラムエネルギー。セフィラムエネルギーを放出し続ける能力の代表格といえば…
そして、一つの結論にたどり着く。
「…まさか、そんなことが…いや、前に親父に聞いたあの珍しい能力なら…」
「どうやら、分かったみたいですね。」
そう言う雪無さんの顔はとても柔らかかった。
「にしても颯真さんも、つくづく運が無いというか、まさかこの時期に事件に巻き込まれるとは…」
雪無さんは憐れむような、それでいて悲しむような表情でポツリと呟いた。
「それ、どういう意味ですか?」
「お気になさらず。こちらの話です。」
にっこりと笑う雪無さん。さっきのは思わずこぼれてしまった言葉らしく、あまり触れてほしくはないようだ。
「…まあ、何はともあれ、原因は分かりましたし、これでやるべきことも分かったってもんですよ。」
俺はそう言いながら軽くジャンプをしたり、屈伸をしたりと準備運動を始める。
「一体何をなさるおつもりですか?」
雪無さんの疑問を聞き流し、俺はこう言った。
「雪無さん。ヤバそうだったら全力で俺を止めてください!」
「はい?」
そして俺は、この事件の黒幕への怒りを胸の内に溜め込み、爆発させた。

―SOUMA'S VIEW―
 俺たちは、近くの宿の部屋を一つ借り、部屋のベッドの上で隣り合って座っていた。
明かりもつけず、夜も更けた部屋の中、暗順応のおかげでメリッサの姿が認識できるくらいの明るさしか存在しないこの空間。静謐に支配された空気感が重く感じる。
メリッサにとっては、今まで隠していたことが露見したのが相当ショックだったらしい。それにしてもショックを受けすぎな気もするが。
「…颯真様。」
ようやく、メリッサが沈黙を破る。
「あの人が言ったことは、全て事実です。」
「………。」
俺は何も言わない。
「…笑うフリであればできるのですが、私は、本心から笑ったことがありません。颯真様と二人きりの時ですら。」
メリッサはずっと隠してきたであろう秘密。その告白を俺は静かに聞く。
前から気づいていたことだったが、そのことを俺に知られたくないということにも気づいていたため、黙っていた。でも今回は、それが裏目に出た。
メリッサは俯いたまま話し続ける。
「でも、それでも、私は…今、幸せなんです。颯真様が傍に居てくれて。颯真様の笑顔を見ることができて。」
この三年間、俺とメリッサは一度だけあった遠征任務の時以外は毎日一緒に居た。だから、この言葉が本心であることくらい分かっている。
「幸せ…なはずなんです。そう確信を持っていました。だから、最初はあんな風に強く言い返せた。」
メリッサは自身のスカートをキュッと掴む。
オーガと俺の問答のことを言っているのだろう。あの時は俺も取り乱したが、メリッサは強かった。あの時までは。
「ですが、その後、颯真様にも隠していたことを指摘され、本当に幸せなのかと問われ…そして、そのことを考えると、恐ろしくなりました。」
スカートを掴むメリッサの手が震え始める。
「今の幸せは歪で、壊れやすいのだと。たった少しのいさかいで、ちょっとした加減の間違いで、簡単に壊れるような気がするんです。」
とうとう、彼女の唇が震え始めた。
「私は、壊れるのが怖い。私のせいで、壊れるのが。だから…」
「だからと言って、『此処』から離れるなよ?あの日みたいに。」
俺は震えるメリッサの手を自身の両手で上から抑えた。
他人から幸せを否定されただけで、どうしてここまでショックを受けていたのか、ようやく分かった。メリッサは、怖くなったんだ。自分が幸せだと信じていたものが、自分のせいで壊れるかもしれないと。
笑えないということをずっと気にしていたメリッサにとって、赤の他人に指摘されたことで余計に恐ろしく感じたのだろう。
「とある奴からの受け売りだが、相手の幸せを願って一歩下がってるんなら、やめておいた方がいいらしい。」
あの時、俺はこの言葉のおかげで一歩を、メリッサとの関係を進められた。
「歪な幸せ?心から笑えない?上等だ。全部ひっくるめて俺が受け止めてやる。どんなに重い感情も、歪んだ愛も向けてもらって構わない。それでお前が幸せを感じていられるなら、俺はこの命だって賭けてやる。」
「颯真様…いいんですか?狂気的に貴方へ執着している私に、そんなことを言って。」
メリッサは苦笑する。俺の頭の中は沸騰しているように燃え上がっている。自分が何を口走っているかなんて分からない。それでも、俺は頷き、言葉を紡ぐ。
「大事なのは、どんな形であっても一緒に居ること。思い合っているのに離れ離れになるのは寂しいだけろ?……これも、ある人からの受け売りだけどな。」
「…その言葉って……」
メリッサは目を見開く。俺がこの言葉を口にするのが珍しいのだろう。『大事なのは一緒に居ること』…とある人の口癖。俺はこの言葉をめったに言わない。
そのおかげか、メリッサはその言の葉を噛みしめるように黙り込む。
そして…
「はあ…私もチョロいですね。あんなに悩んでいたのに、今ではなんでこんなくだらないことで悩んでいたんだろうって、思えちゃうじゃないですか。」
メリッサは、俺の手を包み返した。そこに震えはもうない。
「その選択、後悔しないでくださいね。」
「しないさ。一生な。」
「颯真様の血…また吸いますけど、いいんですか?」
「構わん……が、貧血になるのは嫌だから、ご褒美か緊急時だけにしてくれ。」
「ふふ。じゃあ、この事件が解決したら、飲ませてくださいね。」
「分かった。楽しみにしとけよ。」
メリッサはクスクスと笑う。これが作り笑いで、わざとやっていることは分かっている。でも、それができるくらいには余裕が生まれたらしい。
「やっぱり、笑うのって難しいですね。」
落胆するように息を吐く。
「安心しろ。お前が笑えるようになるその日まで、俺はずっと傍に居て、お前を笑わせてやる。…いや、笑えるようになっても、ずっと傍に居て、一緒に笑っててやる。だからお前は、この幸せを享受してればいい。」
俺はメリッサの頭を撫でた。優しく、宝石を拭うように。
「なんか、プロポーズみたいですね。」
ふいに、真面目な顔でメリッサがそう言った。流石に俺も恥ずかしくなり、頬が熱くなる。
「変なことを言うな!…まだ恋人になったばかりだろ…」
俺はメリッサに触れている手を両方とも瞬時に引っ込め、メリッサとは別の方を向く。
「まあ、お前が心から笑えるようになったら、ちゃんとしたプロポーズをしてやるから、その時まで待ってろ。」
俺はへそを曲げるようにいじけて言う。すると、優しいそよ風のような声で、
「そうですか。じゃあ、早く心から笑えるようにならなきゃですね。」
と言ったのが聞こえた。
「ふん…それなら、もう離れようなんて思うなよ?」
ぶっきらぼうに背中で声をかけると、
「はい、もちろんです。『此処』が私の居場所なので、離れたりしません。だから…」
メリッサは俺の首に腕を回し、後ろから抱き着いてきた。
「一生、私の傍に居て、ずっと、私を支えてくださいね。」
そんな、囁き声のように小さく、弱弱しくも安らぐような声色でそう言うメリッサ。
対して俺は、首元から伸びてきた両手を優しく掴み、
「当たり前だ。メリッサには俺が必要だからな。」
と、こちらも優しく返すのだった。

 次の日の朝。俺はいつも以上にいい目覚めだったので、まだ部屋で眠るメリッサを置いて、外を散歩していた。
昨夜、俺はメリッサと本当の意味で恋人になれたような気がする。メリッサの心の中にあったわだかまりも無くなり、心を通わせられた。
これほど気分がいいことは無い。
異世界に連れてこられ、オーガにはいちゃもんを付けられ、有象無象にバカにされ…と、ロクなことが無かった。だが、メリッサと更に仲良くなれるきっかけにはなったので、この際感謝をしておこう。
俺はそんなことを考えながら、軽やかな足取りで街を練り歩いた。こんな気持ちで歩くのであれば、この中世の街並みも中々悪くない。
まだ早朝ということもあり、人はいない。
まあ、とどのつまり、これは絶好のチャンスということだ。

「妖術、幕引き、終炎ノ一太刀しゅうえんのひとたち!」

とてつもない威力の巨大な炎の刃が、俺の頭上から振り下ろされ、俺の体に直撃する。
そしてその瞬間、俺の髪を結んでいたヘアゴムが焼き切れた。
メリッサに貰った、黒いヘアゴムが。