第三十四話:戦車・?

―MELISSA'S VIEW―
 『血気解放』…私の中に存在する、とある吸血鬼の力による能力。
吸血鬼としての本質的な力を引き出し、身体能力強化や感覚の鋭敏化を行うことができる。
一応、血液を三割消費して発動することのできる能力だが、その場合は通常時の二倍程度しか強化できない。だから私は、私が最も嫌い、最も渇望してしまっている方法でこの力を発動した。
『血気解放』には、一つだけ、自身の血液を消費しなくても発動できる方法がある。それこそが、他者の血を吸い、吸血状態となることだ。
それを行うため、私は愛する颯真様の肌に牙を立て、その甘美な味の血液で喉を潤した。
私とて一応は人間だ。他人の血を飲むという行為には抵抗がある。でも、一度経験した味であれば、案外抵抗感は消える。
私は、以前に飲んでしまった颯真様の血の味をはっきりと覚えている。あの味が忘れられない。愛する人のものであれば、こんなにも美味しく感じるのかとさえ思った。そのため、颯真様の血であれば、抵抗感はほとんど無い。むしろ、また飲みたい。
より強くなるため、そして、私の欲求を満たすため、私は颯真様の血で、『血気解放』を行った。
 颯真様の血の味の感傷に浸る私の長い銀髪は、颯真様のような真っ赤な長髪へと変わる。木々の間を駆け抜けてきたそよ風が私の赤い髪と長いスカートをふわりとなびかせたのを合図に…
「フレイヤ様、颯真様を頼みます。」
と言って、私は地面を蹴った。稲妻が走るが如く、私は猛スピードで敵のもとへ向かう。すると、ミノタウロスは一瞬で距離を詰めてきた私にたじろいだ。
まあ、数十メートル離れたところから、まばたきをするくらいの時間で肉薄されたら誰だって驚く。そして私は肘を大きく後ろに引き、ミノタウロスの無駄に大きな腹へ拳を思い切り突き出した。その一撃によって腹がへこんだミノタウロスは後方へと吹き飛ぶ。
「…軽いですね。その図体は見せかけですか?」
私は煽るように言うが、吸血状態による『血気解放』では、強化内容が通常時の十倍にまで膨れ上がる。その筋力をもってすれば、重いと感じるものの方が少ないだろう。
「グルルルルルルゥ…グルァ!」
吹き飛ばされて膝をついたミノタウロスが、空高く跳躍した。
「確かに、重力を利用し、全体重を乗せた攻撃であれば、私とて痛いと感じるでしょう。まあ、無意味ですが。」
ミノタウロスは上空で縦に回転しながら斧を振り下ろす。それに対して私はこの場から動こうともしなかった。
「貴方は、真剣白刃取りと呼ばれる技を知っていますか?」
斧の動きがピタリと止まった瞬間、その衝撃で辺りに一陣の風が巻き起こる。
風で木々がざわめく中、私はミノタウロスの斧を両手のひらで合わせるようにして挟み、受け止めた。
斧がビクとも動かなくなったせいか、勢い余ってミノタウロスは斧から手を離し、地面に尻もちを付いた。
「さて、こんな危険なものは消してしまいましょう。不完全魔術回路構築…」
私は斧を両手のひらで受け止めたまま、魔術を発動する。その名も…
「レベルⅨ…『デリートワールド』」
瞬間、斧は塵が風に乗って飛んでいくかのように消滅した。
 『デリートワールド』は、錬金魔術の不完全魔術バージョンであり、本来であれば物質を別のものに作り替えるはずの錬金術が、素材にした物質を消滅させてしまうようになった魔術。安定化させる際に、対象が無機物に限定されてしまったが。それでも対金属武器であれば最強の魔術と言えるだろう。
「ガッ…ァ…アアァ…」
私がいとも簡単に斧を消滅させた様子を見て、ミノタウロスは怯えている。
「さて、私のご主人様…いえ、恋人に怪我を負わせた罪をそそぐ準備はできているんですよね?」
私がにじり寄るように近づくと、ミノタウロスは背を向けて全力で逃げ始めた。しかし、
「残念。通行止めです。」
その先には私が回り込んでいた。今の私に素早さで勝とうなんて、考えが甘すぎる。
「それでは、さようなら。『ブラッディエンド』…!」
私はミノタウロスに向けて、赤黒い極太のビームを放った。すると、ミノタウロスの腹には大きな風穴が開き、その大きな体はドシンという音を立てながら倒れた。
「片付きましたね。さて……」
私は颯真様の方を見る。
「…お姫様抱っこしたら怒られますかね……」
能力の反動と貧血で倒れ、意識を失っている彼に対して、そんなことを考えていた。

―SOUMA'S VIEW―
 「目を覚ましたらメリッサ以外の女の顔が映るなんて、初めての経験だな。」
俺はそんな軽口を叩きながら体を起こす。どうやら、ベッドの上のようだ。周りを見れば、木造建築の小屋の中という印象を受ける。そういえば、異世界にいるんだったな。
「あら、メリッサさんじゃなくてがっかりしましたか?」
俺が寝ていたベッドの横に座るフレイヤがニヤニヤしながらそう言った。
「…まあな。いつもはあいつが起こしてくれてたし……それで、ここは?」
言ってて恥ずかしくなってきたので、話を切り替えると、フレイヤは真剣な表情を浮かべ、
「ここはギルドの治療室ですわ。あの戦いの後、意識が無かった颯真さんをメリッサさんが抱えてここまで運んでくれましたの。」
と言った。それを聞いた俺は、
「そうか…あとでメリッサにお礼を言っておかないとな。」
と小さな声で返した。だが、
「そんなことより…」
フレイヤは俺の肩を掴んだ。
「どうしてあんな無茶をしたんですか?『セオリー・レッド・ダイヤモンド』は、能力で引き出せる知識と理論のほとんどを一撃に込める技。一度使うだけで『理論武装』の反動が一気に来るような大技ですわ。『理論武装』を使うにしても、あんな強引なやり方しか思い浮かばないような人でもないでしょう?」
フレイヤがすごい剣幕で説教をしてくる。俺はそんな彼女に対して思わず両手を上げてしまう。
「…いや、あの技にそんなデメリットがあったなんて知らなくてだな……」
俺は委縮しながらそう返すが、フレイヤは蔑むような目をやめてくれない。
「そんなことより、メリッサはどこだ?アイツに会いたいんだが。」
「…はあ、ギルドの受付付近にいると思いますわ。オーガさん付き添いのもと、今回の報告をしているところですので。」
フレイヤはため息を吐きながら俺の肩を離した。
「そうか、ありがとう。じゃあ行ってくる。」
そして俺はベッドから降りて部屋を出ようとしたとき、
「ああ、少し待ってくださいまし。」
と、フレイヤに呼び止められた。
「どうした?」
「私から、危なっかしい颯真さんにプレゼントを差し上げますわ。」
「プレゼント?」
呆れながらも優しく微笑むフレイヤに俺は首をかしげる。対する彼女は俺に向け手を翳す。
「顕現なさい。蛟竜こうりゅう。」
すると、謎の力の塊が俺の方へ放たれ、そしてそれが俺の肩に止まった。そしてその塊は、徐々に小さな魚のような龍のような形に変貌し…
「ほう、貴方が私の主殿か?」
などと俺の顔を見ながらしゃべりかけてきた。
「…は?なんだこいつ。」
俺が素っ頓狂な声でそう呟くと、
「その子は私が作り出した妖怪ですわ。蛟竜をモチーフにしたので、そのまま蛟竜と名付けましたが…いかがですか?なかなかチャーミングでしょう?」
明るい顔で無邪気に言った。
「……チャーミングかどうかはともかく…どういうつもりだ?」
「どういうつもりも何も、無茶しがちな友人のため、私がボディガードを創っただけのこと。颯真さんに着き従うようにしましたから、お好きなようにお使いください。」
目をつむって微笑む彼女の顔からは善意しか感じられなかった。そして、蛟竜の方を見ると、
「というわけだ。よろしく頼むぞ、主殿。」
小さいながら頼もしいと感じさせるような強い声を聞かせてくれた。
「…はあ。ま、そういうことならありがたく連れていくぞ。」
俺はそう言って、蛟竜に姿を消してもらい、部屋から立ち去る。振り返りざまに見たフレイヤの顔はどこか満足げだった。

 「なあなあ、嬢ちゃん、ミノタウロスを倒したってホントなのか?」
「つーかさ、君、見た目に反してめっちゃ力あるんだね。あの大男を軽々運んじゃうなんてね。」
受付の広場へ近づくと、そんな野郎どもの話し声が聞こえてきた。ミノタウロス討伐のヒーローとして、メリッサが他の冒険者たちに囲まれているようだ。よく見ると、オーガが集団の中からはじき出されていた。なんとも無様な姿だ。
「てか、あの大男、気絶した挙句、嬢ちゃんに運ばれるとか、情けねえよな。」
「そうそう。なんか、俺ツエーみたいな雰囲気出してたくせに、あっさり倒れて、女の子に助けてもらうなんて、情けねえ奴だよな。」
どうやら、無様なのは俺の方だったらしい。集団の端にいた奴らがそんなことを言い始めた。そういう悪口はだんだんと伝播していくようで、みな口々に俺の侮辱を始めた。
「バカしかいねえ…」
つい、そんな声が漏れる。その声が聞こえたのだろう。集団の中にいた一人が俺の姿を見る。そして、ニタニタと笑いながら俺の方へと近寄った。
「おやぁ?噂をすれば…ちょうどアンタの話をしてたんだぜ。情けねえ大男っていう話をなぁ!」
そいつが大きな声でそう言うと、周りにいた冒険者たちも大笑いし始めた。
一生ペーパークラスでいろよ!だとか、引き際も分かんねえ奴は冒険者に向いてないだとか…言いたい放題。にぎやかなもんだ。
だが、それを聞いて黙っていられるほど、心は広くない。
「…今、私のご主人様をバカにしましたね?」
メリッサが痺れるような低い声でそう言った。普段のメリッサが絶対に発さないような声だ。その瞬間、爆笑する声は止み、全員の顔が青ざめる。
そう、あのメリッサが俺の侮辱を聞いてキレないはずがないのだ。このままだとここが血祭り会場になるのは容易に想像がつく。だから…
「…メリッサ。」
俺は有象無象の群れをかき分け、右手で彼女の左手を掴んで引いた。
「…え、颯真様?」
怒りも忘れ、呆気にとられるメリッサを無理やり集団から引っ張り出し、早歩きでギルドの出入り口へと向かう。
「…ったく、世話が焼ける。さっさと出るぞ。」
俺がメリッサの顔も見ずにそう言うと、
「はい…ありがとうございます。」
という返事と共に、俺の手をやさしく握り返す感触が伝わってきた。
なんとも言えない空気感が俺たちの間に流れる。後ろの冒険者たちがどんな顔をしてるのか、どんな反応をしてるかは分からない。この時、俺達は互いのことしか認識していなかった。
そして、ギルドの建物を出たところで、足を止める。
「ふう…結局、冒険者ってのは野蛮な奴らが多かったな。」
「ふふ…そうかもしれませんね。」
メリッサは空いた方の手で口元を抑え、軽く笑った。ただ、その表情はどこか遠慮しているように思えた。
メリッサは、あの事を気にしているのだろうか。
ならば、俺からは「気にするな」の一言くらいかけてやるべきか、そう考えていた時…
「いやぁ…二人とも、大変だったね。」
と、俺たちの後ろから聞きなじみのある男の声が聞こえた。オーガだ。
「どうした?わざわざ。」
二人の時間を邪魔された気分になった俺は冷たく返す。
「ああ、君たち二人のライセンスカードの更新が終わったから、カードを渡しに来たんだよ。」
言いながら、俺たちにカードを差し出した。
「はい、いろいろあったみたいだけど、ウッドクラスへの昇格おめでとう!」
爽やかな笑顔で祝福してくれるオーガだったが、俺は素直に喜べなかった。
表情から俺が喜んでいないことを察したのだろう、オーガは優しく微笑み、
「…ミノタウロスが二体も現れたんだ。負けるのは仕方のないことだ。むしろ、生きているだけでも十分すごいことだ!だから、連中の言うことなんて気にするな。」
と言って、ポンポンと俺の肩を叩いた。分かってるつもりになっているこいつの態度が気に食わない。
「まあ、俺は戦うことしか取り柄が無いからな。へこみもするさ。」
俺はあえてオーガの話に合わせ、悔しがっている風を演じる。
俺が演技交じりの苦笑を浮かべると、オーガは不思議そうな顔を浮かべて、こう返した。
「――でも、君は戦いが嫌いなんだろ?」
たった一言。その言葉が、俺の心臓の鼓動を速めた。手が震え始める。
なぜ、見抜かれているんだ?
「戦いが嫌いなら、無理に戦わなくてもいい。そういう考えのやつは、いざって時に強いやつの足手まといになる。それこそ、メリッサの足を引っ張るかも…」
心配してるような表情を浮かべて淡々と痛いところを突いてくる。俺は冷静な思考が崩れそうになるのを感じる。手の震えが全身へと侵食しかけたその時、
「私は、それでも構いませんけどね。」
崩れかけの俺を支える、風鈴の音のように心地の良い声が聞こえた。
メリッサは揺るぎのない瞳でオーガの顔を見た。
「私は颯真様を愛しています。だから、たとえ颯真様が戦うことを嫌っていたとしても、たとえ足手まといだったとしても、私は、颯真様と一緒に戦います。」
メリッサの声は真っすぐで、芯があって、オーガを突き刺す勢いすら感じた。
メリッサは、以前とは見違えるほど強くなった。そう思わざるを得ない。
一方で、勢いに押され、流石に苦笑いを浮かべるしかなかったオーガだったが、
「すごい決意だね。よほど颯真と一緒に居ようとしてみたいだけど…君は本当にそれでいいの?それだと、君の人生は彼に振り回されるだけの人生になるよ。」
などと勝手な軽口を叩いた。表情を見れば見るほど本当に心配しているように見えるのが更にムカつく。
だがメリッサは、一瞬だけ俺の眼を優しく見つめ、
「もちろんです。そのおかげで、今の私は幸せですから。」
迷うことなく返した。
『幸せ』だと、はっきりと口にした。以前のメリッサでは、言葉にできなかった単語を。
この時、俺の手の震えはほぼ完全に収まっていた。やはり、愛の力は偉大だ。
だが、そんな感傷に浸る暇を、この男は与えてくれない。
「んー…でもさ…君、口では幸せって言ってるけど、本当は不満なんだろ?」
「…どういう意味ですか?」
ここまで凛とした表情を維持していたメリッサの眉間に皺が寄る。
「いや、颯真と二人で話してる時も、微笑んではいるけど、全部作り笑いだったからさ。本心から笑ってないな…って思って。本心から笑えていないのに、それは幸せと言えるのかな?」
憂うようにオーガは言った。つくづく痛いところを突いてくれる。
こいつの言うとおり、今までメリッサは作り笑いでしか笑っていない。
「それ…は…」
メリッサの顔が青ざめる。それを認めたくないのだろう。
ようやく幸せを理解し始めたのに。メリッサが抱え込んでいる秘密を、よりにもよって、一番バレたくないであろう人鳴神颯真の前でバラされた。
「…颯真と一緒にいることで本当に君が満たされるのか、よく考えるといいよ。」
そう言って、オーガはその場から立ち去った。
そこに残されたのは、立ち尽くす赤髪の大男と、銀髪のメイドだけだった。