第三十一話:戦車・一

―SOUMA'S VIEW―
 ぼんやりとした意識の中。俺は何か心地のよいものの上で眠っているということしか理解できない。いつもの枕ではないが、ずっとこのままでもいいくらいには心地がいい。
「………さま。」
なんとなく、そんな声が聞こえた気がした。だが、体を動かす気にはなれない。
「そ……さま。」
それでもその声は止まない。
「颯真様。」
愛しい彼女が俺を呼んでいるような気もするが、まあ、もっと寝ていても構わんだろう。
どうせ今日は定休日だし、本業は謹慎喰らってるし。
「ねえ、起きてますよね?」
まだ寝ていても許されるのが今の俺だ。
『そんなこと言ってる場合じゃないんで、早く起きてください。』
「あ、はい…」
静かな怒りを孕んだ声が脳内に流れ込んできた。【共感覚】を通して怒られてしまった俺は、仕方なく目を覚ます。
「…まったく、せっかく付き合ってから初めての膝枕を堪能していた所だったのに…なに…ごと……」
俺は体を起こした瞬間。その異常に気付いた。
「よし、メリッサ。もう一度膝枕を…」
「現実逃避しないでくださいよ!?」
俺の周りには信じられない光景が広がっていた。
まず一つ目は、俺の足元で正座をしているメリッサ。さっきまで俺に膝枕をしていたのだから、至極当然と言えばその通りだ。
問題は二つ目。この景色だ。
俺たちがいるのは山道のような場所。舗装されていないが、土の道があることから、人が通る道であるのは明白だが、周りは木々に囲まれ、遠くの開けているところに視線を向けても、ビルのような高層建築は見当たらない。
俺たちが住んでいる街、藤ノ宮市は都会の部類だ。そのため、街の外れからでも高層建築は見えるはず。つまり…
「ここはどこだ…?」
未知の場所…少なくとも俺たちが住んでいる街ではないということだ。
「分かりません。私が目覚めた時にはここでしたから。」
メリッサはロングスカートを何度かはらいながら立ち上がった。
「何があるか分からないので、颯真様の傍にいた…という感じですね。」
「なるほどな…とりあえず、軽く状況を整理しようか。」
「はい。」
俺の言葉に、メリッサは頷いた。
「まず、目が覚める前…つまり、眠る前のことを覚えているか?」
「いえ、覚えていません。」
俺の問いにメリッサが首を横に振る。
「だよな…俺も覚えてないし。」
俺は肩をすくめる。すると、メリッサはポケットから何かを取り出す。スマートフォンだ。
「連絡は…ダメですね。圏外です。」
メリッサはすぐにスマートフォンをポケットに仕舞った。
「はあ…結局、どっかに歩いてみるしかないのか。」
「ですね…」
俺たちは一緒に溜息を吐くと、視線を遠くの開けたところへと向けた。
「この土の道のように人がいる痕跡があるってことは…分かってるよな?」
俺はメリッサに挑発をするように口角を上げた。
「ええ、どこかに人がいる…ということですよね?」
メリッサも挑戦的な笑みを返す。
「それにあの開けたところ、チラリとですが、屋根のようなものがいくつか見えました。あのあたりに人がいる確率は高そうです。」
メリッサの言葉に俺は頷き、
「じゃあ、早速行こうか。」
「はい、颯真様。」
俺たちはこの山道を下り始めた。
すると次の瞬間…

――グォオオオオオオオオ!
「なんだ…?」
「…雄たけび…ですかね?」
山全体を震わせるようなものすごい音。いや、声。俺たちは瞬時に背中を合わせ、どこから何が来てもいいように身構える。そして…
――ウゴォオオオオオオオ!
そいつは姿を現した。
「なんだ…あれ?」
巨大な二足歩行のイノシシのような、豚のような、赤黒い何かが俺とメリッサの横から現れた。
「チッ…!」
俺とメリッサはその怪物が突撃する寸前で跳躍し、回避した。
「…見たこともない怪物ですね…どうしますか?」
「襲ってくるならやることは一つだろ!」
俺とメリッサは空中でそんな会話をしたのちに、二方向に分かれる。
「…召喚…【無貌むぼう鳴颯めいそう】…!」
俺は黄色に光る大剣を手に呼び出し、斬りかかる。
「不完全魔術回路構築、レベルⅣ・ロードミステイク!」
メリッサが怪物に向けて魔術を放つと、怪物の動きが少し鈍くなる。魔術のせいで体が軋むんだから当然と言えば当然だ。
「これで…どうだ!」
俺は大剣に雷を纏わせ、一撃で両断しようとする………しかし、
「…は?」
剣は怪物を斬るどころか、傷一つ付けられなかった。
――グルァアアアアアアアア!
「しまっ――――!」
俺は反撃のアッパーカットを喰らい、吹き飛ばされた。
「颯真様、ご無事ですか!?」
「あ、ああ……なんとか…」
落下の瞬間に受け身を取ったおかげでダメージを最小限にまで抑えられたが、拳が直撃した腹はかなり痛い。
「…チッ……『ファンタズム・アメジスト』…!」
俺は怪物のいる地点に座標を定めて、その地点で紫色の宝石による無数の斬撃を発動させる。
完全な不意打ちによる無数の斬撃だ。普通ならガードする間もなくやられるはずだが…
――ウガァアアア!
無傷で突破してきやがった。それどころか、こちらへ元気に突進し始めた。
「…魔術が効かない…!?………こうなったら…」
俺がセフィラム能力を発動させようとしたその時…
「喰らえ!ファイア!」
どこからともなくそんな声が聞こえてきた。
すると、
――グギャァアアアアア!
怪物が炎上し、苦しみ始めた。
「ふん!まだだ!サンダー!」
そんな掛け声とともに、今度は怪物に雷が落ちた。
――ウ、ウグァ、アア…
そして、俺の攻撃が全然効かなかったはずの怪物は、いとも簡単に倒れた。
「なんなんですか…?これ。」
向こう側で棒立ちをしているメリッサも、なにがなんだかよく分かっていない様子だった。
そんなハテナだらけの俺たちのもとに、一人の男が近づいてきた。さっき、謎の声を発していた男だ。
「君たち!大丈夫かい?」
笑顔が爽やかな金髪の好青年というのが第一印象。だが、目を引くのはその格好だ。
白銀の鎧に身を包み、腰にはロングソード。現代では『銀狼』でもない限り一発アウトな姿。
そんな男が、俺たちに微笑みかける。俺はこの男を不審に思いながらも、
「ああ、助かった。ありがとう。」
と、感謝の言葉を口にした。
「一時期はどうなることかと思いましたが…助かりました。」
メリッサも俺に続いてそう言った。すると男は、
「いやいや、お礼なんていいよ!冒険者たるもの、困っている人には手を差し伸べないとだからね!」
そう言いながら手をヒラヒラとあおぐように振る。
「というか、さっきの…『ふぁいあ』とか、『さんだー』ってのはなんなんだ?」
俺が男にそう尋ねると、首をかしげた。
「え…?なにを言ってるんだい?あれは『魔法』だよ?この世界の人たちはほとんど使える代物で、『ファイア』と『サンダー』に関しては一番有名な魔法なのに…!」
男は眉間にしわを寄せながらそう力強く説明した。
「…魔術や呪文…あるいは、セフィラム能力…と呼ばれるものではないのか?」
俺がそのように問い詰めると、男は困惑したように目をキョロキョロと動かした。
「魔術?呪文?せ、せふぃ……なんだって?ごめんね、そんなものは知らないよ。」
俺がイラついているように見えたのか、俺の機嫌を取るようにゆっくりと優しいトーンで言った。
「それより、君たちは一体…?この辺の人じゃないよね?」
彼は俺たちの顔を交互に見ると、そう尋ねてきた。
「ああ、そうだな。気が付いたらここにいたって感じだ。」
隠しいてもどうせバレると思った俺は正直にそう言った。すると、男は顎に手を当てて、考え込むような仕草をする。
「気が付いたらここに…?不思議だね…もしかして、迷い人ってやつなのかな?」
「迷い人?」
思わず俺は聞き返す。それに対して男は「うん」と言って頷き、
「迷い人っていうのは、この世界じゃないどこか別の世界から、迷い込んできた人のことを言うんだよ。珍しい話ではあるけど、ありえなくはないかな。」
と、説明した。
「…その迷い人がもとの世界に戻った…という前例はありますか?」
メリッサが不安そうに口を開く。
「いや…聞いたことが無い……というか、僕自身、迷い人に初めて出会ったしね。」
男は申し訳なさそうに苦笑する。
…というか、さっきまでメリッサが全然口を開かなかった理由はそれだったのか。元の世界に戻れないかもしれないという不安。まあ、俺たちにとってあの家は捨てがたいほど大切な空間だったしな。
「まあ、帰れないっていう確証もないんだから、そんなに不安そうな顔をしなくてもいいんだよ?」
男はメリッサの肩をポンポンと叩く。
「……………チッ。」
それを見て俺は思わず小さく舌打ちをした。誰の許可があってメリッサに触っているんだか。
出しそうになった手を引っ込める。
「あ、そうだ。こんなところで話してるとまたモンスターに襲われるだろうし、近くの町へ行かない?そんなに遠くないからさ!」
男はパンッと手を叩いてそう言った。
「まあ、行く当てもないですし、私はそれでもいいですけど…颯真様、どうしますか?」
メリッサが俺の顔色をうかがいながら聞いてきた。恐らく、さっきの俺の思考を読まれたのだろう。【共感覚】はつくづく不便だ。俺の醜い嫉妬すらも共有されてしまうのだから。
「はあ、分かった。そうしよう。」
俺は息を吐きながらそう答えた。
「じゃあ、決まりだね!」
男は笑顔でそう言ったのち、「あっ」と何かを思い出す。
「そういえば、まだ自己紹介をしてなかったね。俺の名前は『オーガ』。冒険者のオーガだ!君たちの名前は?」
そう言って俺たちに尋ねる。それに対して俺たちは
「俺は鳴神颯真だ。それでこっちが…」
「メリッサ・スチュアートです。以後、お見知りおきを。」
と、手慣れた連携で自己紹介をする。
「颯真に、メリッサだな!よろしく!」
そんなオーガの爽やかな笑みを見て、俺は気さくな奴だな…と思った。
「それじゃあ、この近くの町、アチュートスまで道案内をしてあげよう!」
「ああ、助かる。」
町があると思しき方向へ指を差すオーガに礼を告げた。
…にしても、アチュートス…か。なぜかこの町の名前に違和感を覚えた。違和感の正体は一体何なのだろうか。
俺がそんなことを考えていると、メリッサがオーガに声をかける。
「その…オーガさん。道すがらでいいので、この世界のことを教えてくれませんか?先ほどの『魔法』…というものも気になります。」
「ああ、もちろんだ!それじゃあ、歩きながら教えてあげるよ。」
とメリッサの要求に対して頷くと、俺たちを先導して歩き始めた。
俺とメリッサは横に並んでオーガの後ろを歩く。
「そうだな…どこから話そうかな…とりあえず、ここの話からしようか。今向かってるのは、『アチュートス』っていうこの国、『モンバーレム王国』じゃ、そこそこ有名な町なんだ!」
自慢げに話すオーガの後ろ姿に俺は問いを投げかける。
「ほう?何が理由でそんなに有名なんだ?」
すると、オーガは、チラリと俺の方を見て、
「それは、冒険者の数だよ。」
と言った。
「この世界にはね、さっきみたいなモンスターを討伐することを生業としている、冒険者っていうのが存在しているんだ。俺もその一人だな。」
「なるほど…では、その冒険者の方々がこの先の町に沢山いる…ということですか?」
メリッサがそう尋ねると、
「その通り!」
と元気よくメリッサの方へ振り向いた。
「冒険者をまとめている組織のことをギルドっていって、そこでモンスター討伐依頼を受けることができるんだけど…アチュートスのギルドは、このモンバーレム王国の中でも依頼を受ける冒険者の数が最も多いんだ!」
「…それってつまり、この近辺で出現するモンスターの数も多いってことだよな。」
俺が冷静にツッコむと、オーガは痛いところを突かれたかのように体をビクンと震わせた。
「い、いやあ…そのせいで定住者が冒険者と冒険者狙いの鍛冶屋、レストランや宿屋を開いてる人達ばっかで、普通の住民があんまりいない…っていうのは大きな声で言えないんだけどね…」
震えた声でそう言うオーガは、冷や汗をかいているように見えた。
「むさくるしそうな町だってことは分かった。」
「むさくるしいんじゃなくて、活気があるって言ってほしいかなぁ!?」
「まあ、確かにむさくるしそうでは…ありますけどね。」
「えぇ…二人して酷いなぁ…」
流石に罪悪感が沸いたのか、メリッサががっくりとうなだれながら歩くオーガの背中に向けて、別の話を切り出した。
「あ、そうだ。魔法…魔法についてもお話ししてくださるいうことでしたが…実際、魔法とは一体何なのですか?」
そう尋ねられたオーガは急に元気を取り戻し、
「ああ!そうだった!その話もする約束だったね!」
と言いながら背筋をピンと伸ばした。情緒が忙しいな、こいつ。
「魔法というのは、言葉の力、祈りの力、奇跡の力…と呼ばれるもので、素質さえあれば、言葉とイメージだけで超常的な技を放つことができるものだ!」
「なるほど…それを使うのに、魔力…何かを消費する…ということはないんですか?」
と、メリッサが聞く。すると、
「え?そんなものないよ?」
あっさり即答された。
「じゃあ、セフィラム能力…神々や天使から授けられる特殊能力…とは違うのか?」
俺の問いに対しては、「うーん」と数秒唸ったのちに、
「そういうのではないと思うよ?魔法教本ってのがあって、それを読むと、適性がある人は魔法を使えるようになるって感じだからなぁ…」
と答えた。
この言い方的に、魔法というのは、魔術や妖術のように型が決まっており、素質がある人に教えることができるが、魔力や妖力のようなものを消費しない。どちらかというとセフィラム能力に近いもの…という解釈が正しいのだろう。
そして、一番念頭に入れておくべきなのは、この世界では魔法が最強だということ。
その例が先ほどのモンスターだ。セフィラム能力はどうか分からないが、魔術は効かなかった。単純に斬撃攻撃が効かなかっただけかもしれないが。
 俺が思考を巡らせていると…
「さて、着いたよ!この町が、冒険者の町、アチュートスだ!」
遂に足を止めた俺たちの前に、城壁のようなもので囲まれた、城塞都市のような町が現れた。その圧倒的な威圧感は、俺たちのことを見下しているようにも思えた。
「…本当に異世界…なのか…」
俺はそれを認めざるを得なかった。