第二十八話:恋人・一

―SOUMA'S VIEW―
 もう、これで何年たっただろうか。記憶を失って初めて目覚めたあの日のことがまだ昨日のように思い出される。
 神話生物の力を人間に付与する実験。そんなもののせいで記憶を失う羽目になった俺は、たまたま隣の牢屋に入れられていた銀髪の女の子に一目惚れをした。

 あれから何があっただろうか。もはや『いろいろ』としか表現のしようがない。
 俺たちの前にはいくつもの壁があった。なんなら俺たちの間にも越えようのない壁があった。それでも、周りにいた皆が、俺たちのことを支えてくれた。だからこそ、今の関係がある。

 「颯真様。あそこのカフェに行きませんか?以前、レイラさんにオススメしてもらった場所なんで

 「颯真様。あそこのカフェに行きませんか?以前、レイラさんにオススメしてもらった場所なんで すよ。」
隣を歩く『私服姿』のメリッサが手前を指差す。
「まあ、せっかくのデートだし、行ってみるか。」
「で、でーと…」
俺の言葉にメリッサが顔を赤らめる。まあ、流石にまだ慣れないよな。
 そう。俺たちはエラとの戦いの後、晴れて恋人同士になった。そして今日は記念すべき初デートというわけだ。
 「いらっしゃいませ!二名様ですね?」
レイラに勧められたという店に入ると、若い女性の店員が笑顔で出迎えた。
「ああ、二人だ。」
俺がそう返すと、
「かしこまりました。それではこちらの席へご案内します。」
と言って、あまり人がいない奥の方の二人席へ行くように促された。
「それでは、こちらのお席になりますので、注文が決まりましたら、またお呼びください。」
店員は軽く一礼をして俺たちのもとから離れていった。
「もしかして、気を遣ってくださったのでしょうか。」
メリッサは席に座りながらそう言った。
「だろうな。営業スマイルとも普通の笑顔とも思えない…雪無たちが俺たちに向けるような笑顔に似てたしな。おそらく、そういうことだろう。」
俺も、ため息を吐きながらメリッサの向かいに座る。
 他人の目から見ても俺たちが恋人関係として映っているのは、素直にうれしいと思う反面、少し恥ずかしい。
 「とりあえず、俺はこのコーヒーと、期間限定のパンケーキにでもするか。」
「あ、じゃあ私は紅茶とこちらのフルーツパフェにしますね。」
俺たちは一つしかないメニュー表を一緒に覗き、指を差しながら選ぶ。
「んじゃ、店員を呼ぶぞ。」
「お願いします。」
俺は呼び鈴を鳴らして、店員を呼んだ。すると少しした後に店員がやってきて、俺たちの注文を聞く。
 店員に注文を伝えてからは他愛もない話をする。
なぜか給料が先月よりも減っていた槐の話や、翼さんが酔っ払って犬兎の関節を極めた話。くだらない会話ってこんなにも楽しいものだったのかと笑い合う。
 しばらくすると、
「お待たせしました、こちら、期間限定、洋ナシのパンケーキと、コーヒー、そして、フルーツパフェと紅茶になります。」
と言って、店員は目の前の机に俺たちが注文したものを並べた
「それでは、ごゆっくりどうぞ。」
店員が立ち去ると、メリッサはスプーンを手に取る。
「…おいしそうですね。さっそく食べましょうか。」
「ああ。」
目の前の馳走に笑みがこぼれるメリッサ。そんな彼女の顔に目が奪われた。
そんな恥ずかしいことを口にできるはずもなく、俺はナイフとフォークを手に取った。
フォークでパンケーキを差し、ナイフで切る。そうしてできた一切れに、盛り付けられた洋ナシとそのソースを器用に乗せて、俺は自身の口に運んだ。
対するメリッサも、パフェをひとすくい、口に含んだ。
「あ、おいしい。このパフェ、おいしいですよ。」
と、笑顔で言うメリッサ。
「そうか。こっちのパンケーキもおいしいぞ。」
俺はそう言いながら、もう一切れをフォークで刺す。そして、
「…食うか?」
「………………………は、はい?」
そこそこ長い間の後で、メリッサが顔を赤らめながら聞き返した。
「ほら、あーんってやつだ。俺は一回お前にやってもらったけど、俺からはしたことがなかったと思ってな。」
「それって颯真様が風邪をひいた時のやつですよね!?」
俺が風邪でダウンした時、メリッサがすりリンゴを食べさせてくれたことを、おぼろげながらも俺は覚えている。その仕返しだ。
「ほら、食えよ。主人の命令が聞けないのか?」
「そこでご主人様特権使うんですか?」
メリッサは少し不機嫌そうに頬を膨らませた。
「…『ご主人様』としての命令でしたら、聞くことはできませんね。」
「は?」
「………今は、主従など関係ないのでしょう?」
顔を熟れたリンゴのように、茹でたトマトのように真っ赤にして拗ねたように言うメリッサ。俺とてその言葉の意味が分からないほど鈍感ではない。
「…ったく、面倒だな……『俺』からのお願いだ。パンケーキを一切れ食べないか?」
「はい、喜んで。」
メリッサの赤い顔がほころぶ。そして、俺の手に握られていたフォークに口を近づけ、刺さっていた一切れのパンケーキをほおばった。
そして、俺は俺で顔と耳が熱い。時期的にはもう寒くなり始めているはずなのに、真夏並みの熱が体を駆け巡る。
「…で、どうだ?」
「おいしいですね。本当に、おいしいです。」
幸せそうに笑うメリッサ。その顔が見れたならよかったか…と、俺は肩の力を抜く。
だが、油断した。次の瞬間、俺の目の前にはスプーンの上に乗った白いクリームが突き付けられていた。
「め、メリッサ…?お前、まさか…」
そのスプーンを突き付けてきたのはもちろんメリッサだ。俺は、察してしまった。
「颯真様は風邪の時の仕返しのつもりでしょうけど、あの時は私たち、付き合ってませんでしたよね?」
「お、おう…そうだな。」
メリッサの顔は確かに笑顔だ。でもこれは、{嗜虐心|しぎゃくしん}に近い何かだ。
「というわけなので、あの時のやつは、ノーカン…です。」
「どういう判定だよそれ!」
「では、大人しく、食べさせられてください。ほら、あーんして?」
 俺たちは、俗に言うバカップルというやつなのだろう。この距離感が幸せで、心地よく感じてしまっているのだから。
 パフェのソフトクリームが冷たくなく、むしろ熱いと感じたのは、今日が初めてだ。

 「いらっしゃいませー!って、お二人さん!今日はちゃんと私服なんですね!」
カフェを後にした俺たちは、俺たちは以前にも立ち寄った服飾店に足を運んだ。
店内には何人かの客と店員がいたが、前回と同じ店員、鈴木が出迎え、さっそくメリッサの服装について言及した。
「ええ、まあ…そうですね。メイド服を着るのは、違うような気がしたので…」
もう少し早くにそのことに気付いてほしかったところだが。突っ込まないでおこう。
「ふむふむ…もしかして……くっついたんですか?」
鈴木はニヤニヤしながら尋ねてきた。
「あ…それは…その……」
痛いところを突かれたメリッサは顔を赤らめて黙り込んでしまう。
「言わなくても分かりますって!」
明るく笑い飛ばす鈴木だったが、恋バナに弱いメリッサは恥ずかしさで体をプルプル震わせていた。
「それで、今日はどのようなものをお探しで?」
「あー…なんか、いい感じのアクセサリーとかってあるか?」
ダウン中のメリッサに代わって俺が答える。すると、鈴木は何かを察したように目をキラーンと光らせて、
「ペア系ですか?」
と聞き返してきた。
「…流石だな。」
「やっぱりそうでしたかー!憧れますもんね、恋人同士で付けるペアアクセ!」
俺の言葉にはしゃぐ鈴木。だが、すぐにスンっと落ち着き、考え始める。
「そうですね…確かにうちはアクセサリーも取り扱ってますけど、種類はそこまで豊富じゃないし……あ、そうだ、ちょっと遠いんですけど、アクセサリー専門店があるので、そちらでお探しになったらどうですか?」
「まあ、遠いくらいなら問題はないが…いいのか?お前の店に利益はないのに。」
俺の問いかけに鈴木は、
「大丈夫ですよ。お客さんの要望の方が大事ですし、こういう行動は、いつか自分を助けると思ってるので!」
と即答した。本当によくできた店員だな…と素直に感心する。
「じゃあ、その店の場所を教えてくれ。」
「分かりました!」
すると、鈴木はポケットからスマホを取り出し、画面を見せながら俺たちにその場所を教えてくれた。
「じゃあ、早速行ってみるか。」
「はい。そうですね。」
俺たちは互いに頷き合い、店を出る。
「ありがとうございました!気に入る物が見つかるといいですね!」
自動ドアが閉まるのと同時に聞こえた声を背に、俺たちは件の専門店へ歩き始めた。

 歩き始めて約十五分、俺たちは鈴木に勧められた店に到着した。
「ここ…ですかね。」
「ああ、そうみたいだな。」
おしゃれな外観の店。煌びやかなのに、派手という印象は受けず、むしろ落ち着いているようにさえ感じるその店は、富裕層しか来なさそうな高級店の雰囲気を漂わせていた。
「……高そうですね、このお店。」
「まあ、気にすることはないだろ。金はあるんだし。」
俺はそう言いながら、メリッサの手を引く。
「行くぞ。」
「は、はい…」
そして、入り口に近づくと、自動ドアがガラリと開き、俺たちの入店を歓迎する。
「いらっしゃいませ。」
落ち着いた雰囲気の女性店員が俺たちを出迎えた。店内は、外観から想像したとおりの高級感が漂っており、格式の高さを感じさせる。
「本日はどのようなものをお探しでしょうか。」
「あー…ペアアクセサリーが欲しいんだが……何かあるか?」
「ペアアクセサリーですか…」
店員は俺たちを見る。そして、ある一点に目を留めた。そして彼女はフッと微笑み、
「…なるほど。そういうことですか。」
と言った。
何のことかと思い、店員の視線の先を見ると、メリッサの手を握る俺の手があった。
「あー……」
「ッ~~~~~~~!」
メリッサもそれに気づいたのか、顔を真っ赤にして震えた。
「それで、アクセサリーのタイプはいかがなさいますか?」
「そうだな…どうする?メリッサ。」
「えーっと…どうしましょうか……」
俺たちは互いに顔を見合わせる。俺たちはなんとなく欲しいと思っただけであるため、どのタイプがにするかも考えていなかったのだ。
そんな俺たちを見かねてか、店員が
「でしたら、店内をゆっくりご覧になってください。実際に見た方がイメージもしやすいでしょうし。」
と言って、手のひらで店内全体を見るよう促した。
「…そうだな。メリッサ、気に入ったやつがあったら遠慮なく言えよ?」
「はい。かしこまりました……ですが、それは颯真様も同じですからね?」
俺たちは互いに微笑み合う。
改めて、いろいろ変わったのだと、しみじみ実感した。俺たちの関係も、メリッサ自身も、そして、俺自身も。
「では、お決まりになりましたら、私か他の店員にお声がけください。」
そう言って軽く礼をした店員にメリッサが「ありがとうございます。」と言う。
そして、俺たちは店内に置いてあるショーケースの中身を、片っ端から見ていくこととなった。
 それぞれのチャームが繋がる二つのネックレスや、全く同じ形状の二対の指輪など、多種多様なアクセサリーが目に入るが、俺もメリッサもピンと来るものがなかなか無い。気が付けば、店内を一周し終えるところまで来てしまった。
「…なかなかいいものが見つかりませんね。」
「やっぱり、なんのイメージも考えずに来たのが間違いだったか…」
「ネックレス類以外、というのは決まってるんですけどね………」
俺たちは一応、ネックレスやペンダントの類を選択肢から外し、種類を絞っていた。
というのも、俺は組織に入った後ぐらいにメリッサから貰った水晶のペンダントがある。俺自身、これを外す気はさらさら無いため、種類が被るのは避けたいのだ。
「あと見てないのはあの辺だけだな。」
俺たちは落胆しながら、まだ見ていない最後の区画に向かう。これで何もなかったら今日は諦めよう…と。
「…………あ。」
そこで、俺は思わず声を漏らした。
「どうしました?」
「いや……あれ…」
俺が指したものは、ブレスレットだ。
二つセットになった、ブラウンのレザータイプのブレスレット。パッと見では普通のブレスレットだが、俺が注目したのはそれぞれのチャームだ。片方はゴールドカラー、もう片方はシルバーカラーのメタルチャーム。形状はメビウスの輪のようであり、そのメタルチャームの中央には、どちらも藍色の宝石が埋め込まれていた。
また、その中央に向けて曲がっているメタル部分には、等間隔に小さな窪みができており、俺にはそれが星のように見えた。
商品名を見ると、『ペア レザーブレスレット 巡り星』とあった。
「…星空をモチーフにしているようですが…これがいいんですか?」
メリッサは小首をかしげる。
「ああ。これ、買ってもいいか?」
「ええ、颯真様が気に入ったのでしたら、もちろん構いませんよ。」
メリッサの同意も得られたので、俺は早速店員に声をかけ、そのブレスレットを購入した。

 俺がこれを選んだ理由が分からず、釈然としていないメリッサと共に、店から出る。
「颯真様、どうしてそれを選んだのですか?」
「…やっぱり分かってなかったか。」
俺はそう言いながら、シルバーカラーのブレスレットを取り出し、メリッサの右腕を掴む。
「覚えてないか?お前が自動車免許を取って、初めて運転した時のことを。」
「あ……」
そこでメリッサはようやく気付いたようだった。俺はそのことに安堵しつつ、ブレスレットをメリッサの右腕に取り付けた。
「あの時、星空が綺麗な丘に連れて行ってくれただろ?あれが忘れられなくてな。」
「…そんなこと…ありましたね……翼様に行ってこいとそそのかされただけですが…」
そう言ってメリッサは苦笑する。
「それでも、初めてお前から誘ってもらったわけだからな、俺は嬉しかったんだ。」
話しながら俺もゴールドカラーの方を自身の左腕に付けた。
「これを見つけた時、あの日に二人で見た星空を思い出したんだ。選ぶには十分すぎる理由だろ?」
俺はそう言ってメリッサに笑いかける。するとメリッサは、
「確かにそうですね。」
と、笑顔で返答し、
「これ、大切にします。」
と、右腕を愛おしそうに見つめた。
「…俺達、本当に変わったんだな…」
俺は思わず呟いた。
「どうかしましたか?」
「いや、なんでもない。それより、次に行くぞ。」
「はい。颯真様。」
俺の左手とメリッサの右手が絡み合う。
お互いの手首に光るものを交差させながら。