第二十四話:死神・三

―KENTO'S VIEW―
「…すごいな、この服。驚くほど馴染む。」
俺はフード付きのカジュアルな白いジャケットに袖を通す。ところどころから見える真っ赤な裏地とアクセントがかっこいい。
「まあ、これでも破壊と創造の系列の神様だし。こんなん余裕だよ。」
白さんはどや顔で俺の独り言に返事をした。
 そう、このジャケットは白さんに作ってもらったものだ。
『歌兎・風横一閃』は、恐ろしいほど強力な技だ。しかし、その技を放つ際に風圧、空気抵抗などがもろもろ俺の体に大きな負荷を与える。
体の方は問題ない。これでも妖怪の端くれだ。人間よりは圧倒的に丈夫にできている。だが、服は違う。言ってしまえば服なんてただの布切れだ。そのため、強い風圧、空気抵抗などの負荷をかければ破れてしまう。
そこで、白さんが俺の為に破れない服を作ってくれたのだ。
 「あ、そうだ。言い忘れてた。白さん、この服、ありがとう。」
俺の着替えが終わり、森に向かう途中。俺は感謝の言葉を白さんに告げた。
「気にすんなって。でもまあ一応、その服は神器ってことになるし、そう簡単には壊れないよ。めっちゃ丈夫。」
「どれくらい?」
「うーん、ゼロ距離でダイナマイトが爆発するくらいなら多分無傷っしょ。」
白さんの言葉に俺の思考が止まった。言葉の意味が分からない。
「つーか、そろそろ森に着くけど、こっからどーするよ。」
と、白さんが言う。俺たちの視線の先には、目的の森があった。森とは言っても、俺の故郷がある樹海とは違う方角にある森だ。
「とりあえず、直感的に探すしかないよな…」
俺はそう呟いて、森の中へ一歩踏み入れた。
「そうだね…ま、何とかなるっしょ。分かんなかったら分かんなかったで颯真たちに報告しとけばいいし。」
白さんも俺に続いて歩を進めた。
 森の中を歩けば、あの樹海よりは人が入りやすいように整備がされているという印象を受ける。だが、一つだけ、違和感があった。
「なあ、白さん。ここ、変じゃないか?具体的には言えないんだけど。空間がゆがんでるっていうか。」
定番の同じところをぐるぐる歩かされているというわけではないが、確かな歪みを感じた。言葉にはできないような、不自然さと気持ち悪さ。
「言われてみれば…たしかに。」
俺の言葉に白さんはウンウンと頷いた。
「ま、こういうのは…」
次の瞬間、白さんは左右の腰にそれぞれ白と黒の鞘に納められた刀を出現させた。
「ちょ、何をするつもりだ!?」
「妖術、第壱幕、並立発動。白撃はくげき黒撃こくげき。」
そう呟きながら左右の腕をクロスするようにして両腰の刀を握った。
「―神技しんぎ万物之崩壊ばんぶつのほうかい。」
次の瞬間。瞬きをした刹那の後。白さんは二振りの刀を抜刀し終えた後だった。
そして…

―――パリン!
そんな、ガラスが割れたような音が聞こえた。かと思ったら、目の前にコンクリートでできた小さな建物が現れた。
「は…?嘘だろ…」
俺はその所業に戦慄した。しかし当の本人は、
「おお~なんか出てきた~。」
めっちゃノリが軽かった。なんなら「絶対なんかあるやんけ。」みたいなことを言ってズカズカと前に進んでいる。
「…これが、神の力…か。」
俺は半分呆れながらも、彼の後を着いて行く。
 現れた建物の入り口は固く閉ざされており、簡単には入ることはでき…
「はい。崩落事故っと。」
白さんが触れた扉が砕けた。
「って、「簡単に入ることはできなさそうだ。」くらい言わせろ!」
「そんなこと言われても…我、瓦礫の神ぞ?瓦礫を作るプロフェッショナルなんよ。」
白さんはそう言って後頭部を掻いた。
「ま、そんなことより中覗くよー。」
「了解…」
俺の困惑など気にすることなく前に進む白さんに、もはや呆れすら感じなかった。
 建物の中は薄暗く、俺たちの足音だけが辺りに響いた。
「犬兎くん、この先に何かいる。」
「ああ、分かってる。」
俺たちは小声でそう言うと、お互い、自身の刀の柄を握った。
「そんじゃあ…」
「突撃だ。」
俺たちがそう言って示し合わせ、奥へ一気に進むと、そこには…
「…こ、これは…まさか…」
「うわー。こんなの隠してたんか…」
冷たい牢屋と、そこに閉じ込められているボロボロな服装の人たちがいた。
「……犬兎くん。これ見て。」
俺が牢屋の中に気を取られているなか、白さんは近くにあったパソコンを触っていた。
「なんだ?それ。」
俺もそれに近づくと、メールが開かれていることが分かる。その内容は、
 『鳴神颯真を排除し、メリッサ・スチュアートを回収せよ』
と書かれていた。
「は…?なんだよ…これ。」
心臓が掴まれたかのような圧迫感を感じる。まともな思考回路が全部潰されていく。
「内容もそうなんだけどさ、このメールの送り主を見てみなよ。」
白さんに指摘された通り、俺はそのメールをよく見てみた。
正直、予想はできてる。誰がこんなことを命令したのかなんて。簡単なことだ。
「…そうか、やっぱり、そうだよな。エラ・スチュアート。こいつはメリッサの…」
―母親だ。
この情報を俺が握りつぶしたところで、白さんは絶対に颯真たちに伝えるだろう。
なら、報告する以外の選択肢はない。
深夜さんに忠告されたばかりだが、やっぱり、颯真には知る権利があるだろう。
 メリッサを救える奴がいるとするなら、それは鳴神颯真以外ありえない。
 俺はそんなことを考えながら、白さんとこの施設を後にした。当然、『オルトロス』にこの施設のことを報告してから。

―SOUMA'S VIEW―
 夜、俺はベッドの上に横たわっていた。眠れない。
 ある程度調査が終わり、互いに報告をした後、俺たちは解散した。
今すぐにでもエラ・スチュアートのところへ殴り込みに行きたいところだが、俺にも、メリッサにも、気持ちの整理をする時間が必要だった。
 犬兎から伝えられた真実。エラ・スチュアートが、俺を殺してメリッサを回収しようとしていること。
そして、そのエラ・スチュアートがメリッサの母親だという話。
 「家族…か。」
俺は寝返りを打ちながらそう呟いた。
 もともとメリッサの家族に期待していたわけでもない。家族という言葉を聞くたび、メリッサはどこか遠く、辛そうな目をしていた。だから、なんとなく、あの実験施設にいたのは、家族のせいだろうな…とは思っていた。そんなメリッサを見るたび、俺も、自分の家族もそうなのかもしれないと、考えるようになった。
 俺が過去を取り戻す気がないのは、それが一番大きな要因だ。
 そんな、家族という存在を恐れて、家族の愛も、家族から酷い仕打ちを受ける痛みも分からないような奴が、彼女に何を言えるだろうか。いや、何を言っても経験が伴っていない、紙きれのような言葉にしか聞こえないだろう。
 そんな、暗い暗い時間の中を過ごしていると…

―コン コン コン
ゆっくりと、三回扉を叩く音が聞こえた。
「…失礼します。」
俺が返事をする前に、その声の主は部屋の中へ入ってきた。
「お前が俺の返事を待たないなんて、珍しいな。」
俺はベットの上に寝ころんだまま、声を発した。俺の最愛の女性、メリッサに。
「申し訳ございません。ですが、お許しいただけますよね?颯真様なら。」
部屋が暗くてよく見えないが、なんとなく、怯えているように見える。
「お前のやることを俺が否定するわけないだろ。」
俺はなるべくいつも通りの調子で言葉を返した。するとメリッサは、
「そう…ですよね…」
と言ったのちに、少し前に足を進めて、こう続けた。
「じゃあ、今晩、一緒に寝ても…よろしいでしょうか。」
それは、遠慮しがちで、消え入りそうな声だった。
「……もちろんだ。俺の隣に来い。」
俺はそう言うと、体を起こし、メリッサがベッドに潜り込めるようにスペースを作った。
その動きを確認してから、メリッサはゆっくりと俺のもとへ近づき、
「では、失礼します。」
と呟いて俺の横に横たわった。メリッサの体温が、すぐ近くで感じられる。
 正直、ドキドキしないかと言われれば、嘘になる。好きな子と一緒に寝るなんて、こんな時じゃなかったら、もっと慌てていただろう。
でも今は、俺も人肌が恋しかった。いや、正確に言うなら、メリッサが恋しかった。
 「…温かい、ですね。」
暗闇の中、そんな声が隣から漏れる。
「そうだな。」
俺が短い肯定の言葉を言えば、時が止まったかのように静まる。
だが、その静謐も長くは続かず、メリッサが寝返りを打つように俺の方へ身を寄せてきた。
「メリッサ?」
俺の腕にしがみつくように密着する彼女の体は、確かに震えていた。
「颯真様。ごめんなさい。」
「なんでお前が謝るんだ?」
「…ずっと、黙っていたからです。お母さんのことを。」
メリッサの声は、だんだん弱っていった。初めて会った時のように、小さく。
「私は、お母さんが颯真様たちの実験に加担していることを知っていました。何年も前から。でも、それを言い出せなかった。言い出すことで、私たちの関係が、壊れるのかもって、そう思ったら…」
 ―そんな簡単に壊れるはずがない。
その言葉を聞いて、俺はそう思うだろう。だが、メリッサから見たらどうだろうか。ただでさえ精神的に不安定な彼女にとって、自身の母親が『大切な人鳴神颯真』を苦しめた連中の一人だという真実を俺に告げることは勇気がいることだろう。余計な罪悪感に駆られて、俺との日常が崩れることを恐れているんだ。
「…やっぱり、怖い。颯真様との日常を手放すことが。あの冷たい檻の中で拷問されるのを待つ時よりも。私は、ここにいたい。ずっと、ここにいたいよ…」
メリッサが俺の体に強くしがみつく。いや、縋りつくと言うべきだろうか。いつの間にか、口調が施設にいた頃に戻っている。
「それなら、ここにいたらいい。いつまでも。」
気休めかもしれないが、俺に言えるのは、たったそれだけだ。
「…本当に?」
震える声は、ほんの少しの期待と不安を孕んでいた。
「ああ。というか、ずっと俺の――」
言いかけて止まる。今、確かに「ずっと俺の傍にいろ」って言おうとした。この命令を出しさえすれば、メリッサが俺のもとから離れていく可能性はかなり下がる。だから、俺のためには言うべきだ。
「――いや、俺も、ずっと一緒にいたい。」
命令は、できなかった。したくないから。
「…そうですか。それなら、よかったです。」
少し、声色が和らいだような気がした。メリッサの体の震えは、いつの間にか収まったいる。多少は落ち着いてきたのだろうか。
 俺は、思わず少しだけ安堵してしまった。そのせいだろう。彼女の最後の言葉が、聞こえなかったのは。
「颯…様。あ……てい…す。だ…す……した…。」
本当に、俺はこの時の眠気を一生恨んでやる。

―MELISSA'S VIEW―
 「颯真様。あいしています。だいすきでしたよ。」
残酷だ。颯真様が寝てしまうであろうタイミングになってようやく言うだなんて。
せめて、今晩だけはここにいよう。
「…命令、してくれたら。あなたの言いなりに、なることができたなら…」
―どれほど『幸せ』だっただろうか。

 そんなことを考えながら、私は温かさに縋りついたまま目を閉じる。
颯真様なら、お母さんをどうにかしてくれるんじゃないか。
結局、私はこんな時でさえ、颯真様頼みだ。それは、よくないことだと思っていても。
 颯真様を苦しめた人たちの血が流れている私に、颯真様からの愛を享受することは分不相応だって、
「分かっているのに――」

―そう呟いたその時だった。
ああ、おなかがすいた。
強烈な空腹が私を襲う。
喉が潤いを求めている。今まで、こんなことはなかった。
もうダメだ。食べてはいけないものを食べようとしてしまう。
食欲を抑え込むだけの理性が…壊れていく………
…そして、気が付く。目の前に、柔らかそうな肉と、のど越しがよさそうな血液がある。
ついに私は、それに対して、その牙を立ててしまった。
ああ、おいしい。こんな甘美な味を覚えてしまったら、もう、戻れない。

やっぱり、こうなった。
「ごめんなさい。颯真様。」
お母さんの言うとおりだ。
『貴女は幸せになったらいけないのよ。幸せを求めようとすれば、貴方は必ず後悔することになるわ。だから、幸せになんて、なろうとしないことね。』
―どうやら私は、『幸せ』を求めすぎたようだ。

―SOUMA'S VIEW―
 「犬兎。メリッサがいなくなった。」
朝、俺はケータイを耳に当てて、誰もいないベッドを見つめてその事実を口にした。
残されたのは、俺の肩に付けられた噛み跡と、貧血気味の俺の体だけだった。
「ここに、いたいんじゃなかったのかよ。」

 ―此処に、居てほしかった―