第十話:女帝・二

―KENTTO`SVIEW―
「くらえっ!」
俺は拳を前に突き出す・・・が、その手に感触は無かった。避けられたわけではなかった。俺の腕は伸びきったまま、相手の腹の寸前で止まっているのだ。
「くっそ!まだまだぁ!」
今度は回し蹴りをしてみた。しかし・・・
「うわっ」
軸にしていた足を滑らせ転んでしまった。
「いったぁ・・・」
といったところで手合わせをしていた相手に手を差し伸べられ、声を掛けられる。
「いやぁ・・・相変わらずだね、犬兎。ほんとに刀以外の戦闘はからっきし・・・というか、人並みにもできないんだね。」
そんなことを言ってきた男は異能犯罪対策局戦闘班、通称『銀狼』の班長にして百姫の父、かがみ深夜しんやだ。
俺が会う約束をしていたのは彼だったのだ。
実は昨日、百姫を護送する際に深夜さんに出会って、感謝の言葉と明日『銀狼』の本部に来てほしいという内容の話をされた。そして今に至る。
この本部は『銀狼』が所有する五階建ての建物で、今俺がいるのは三階にある戦闘訓練室だそうだ。そこで深夜さんと手合わせをすることになった。もちろん、武器は無しで。
「何と言うか・・・恥ずかしいな・・・俺、刀以外はほんとにどうしたんだってくらい間合いは掴めないし、すぐに体勢を崩しちゃうし・・・苦手と言うかそもそもやれないんで・・・」
俺は深夜さんの手を掴んで立ち上がる。
「まあ、それも個性と言ってしまえば問題ないんだけど・・・そういう仕事に就いてる以上はちゃんとしておかないとね・・・」
「おっしゃる通りで・・・」
俺は少し恥ずかしがりながら、彼の姿を見た
「あれ?深夜さん・・・全然息切れしてませんね・・・俺でも息切れしてるっていうのに・・・」
深夜さんはもう既に年齢は四十代のはずだが、それを感じさせない動きで俺を翻弄していた。
「鍛え方が違うんだよ・・・まあ、僕はもう前線から退いた身だから、今のみんなには敵わないよ。」
と苦笑して見せる深夜さん。
「それでも素手の俺は簡単に倒せるんですね・・・」
俺が拗ねたように言ってみると、深夜さんは
「あれは完全に君の自滅だけどね。」
ど正論である。俺が勝手に転んで倒れただけなのだから実質深夜さんはなにもしていない。
といった風に談笑をしてひと段落ついたところで俺は疑問をぶつける。
「それで・・・俺を呼んだのは手合わせをするためだけですか?」
俺の問いに対し、先程までにこやかな表情を浮かべていた深夜さんの表情は真剣なものとなっていた。
「そうだね、僕が君を呼んだのは他でもない・・・とても大切なことだ。」
その言葉に空気が震えるような緊張感が走る。
「・・・」
俺も思わず身構えてその言葉の続きを待った。
そして、深夜さんの口から発せられた言葉とは・・・
「どうして僕に何も言わないで『オルトロス』に入ったんだい?犬兎はうちに入れるはずだったのに!」
と、深夜さんはなんか嘆いていた。さっきまで空気の震えはまるで笑いをこらえているかのようにさえ感じるような緩い雰囲気に変わってしまった。
「・・・え?そんなこと?」
「そんなこととっていうほど軽い話ではないんだよ!」
かなり悔しがっているようで、その声はこの訓練場全体に響いていた。
「まったく、一兎のやつ!僕の・・・?・・・・・・?・・・・・・・・・!」
瞬間、深夜さんの声が急に聞こえなくなった。深夜さんは口をパクパクさせてるが、何を言っているのかわからない。よく耳を澄ませるとかすかに声が聞こえるから、聞こえなくなったわけではなく、声量が減少したといったほうが正しい。
「もう・・・深夜くんったら、既に決まっちゃったことなんだから、いい加減諦めたらいいのに・・・」
とそんな声が聞こえてきた。俺も聞いたことのある声だ。
「もしかして・・・有栖ありすさんですか?」
俺がそう聞くと
「大正解!久しぶりだね、犬兎君!」
俺の真後ろから声がした。
「うわっ!びっくりした・・・」
驚き、反射的に振り向くと、大人の美しい女性という印象を持たせる長めの黒い髪をなびかせた有栖さんが優しい笑みを浮かべながら立っていた。俺の知らないうちに俺の後ろにいたようだ。
「あ、ごめんね、私の能力で気配を減少させて、二人に気づかれないように手合わせの様子を見てたんだ。」
そんなに前からいたとは・・・気づかなかった。
この女性は鏡有栖さん。深夜さんの奥さんで百姫の母親だ。この人も四十代のはずだが、歳を感じさせないキレイな肌のせいで一瞬本当に有栖さんかと疑ってしまった。
「そ、そうなんですね・・・ところで、有栖さんの能力って・・・」
俺がそう聞くと有栖さんは優しい声色で教えてくれた。
「ああ、私の能力、教えてなかったね。私のセフィラム能力は『減少関数グレードダウン』って言って、私が指定したものを減少させる能力だよ。」
そこまで聞いたところでようやく理解した。
「もしかして・・・さっき深夜さんの声が極端に小さくなったのって・・・」
と言ったところで有栖さんは一瞬驚いたような表情を浮かべると、また微笑んで、
「すごいね、大正解だよ、犬兎君。頭の良さは一兎君譲りかな?まあ、学校の成績的には深夜君のほうが上だったけど・・・」
そんなことを言う有栖さんはどこか遠い目でこちらを見ていた。
「とりあえず!正解した犬兎君には、うちの百姫をプレゼントしまーす!」
「え?なにをいっt・・・」
有栖さんの爆弾発言に俺が困惑の言葉を漏らす前に、一つの叫び声が聞こえてきた。
「それはダメだぁああああああああ!それはお父さんが許しません!」
そう、深夜さんだった。
「うわ・・・私の能力を私の能力をコピーして解除したよ、あの人。」
呆れた顔を浮かべたちょっと引き気味の有栖さん。その視線の先には息を切らせながらがに股で立つ深夜さん。
「コピーってどういうことですか?」
俺がそう有栖さんに聞くと、有栖さんは表情を変えずに淡々と答えた。
「あの人の能力、『合わせ鏡の夜ミッドナイトミラー 』って言って、見たことがある技や能力をコピーできる能力なんだけど、今回は私が持つもう一つの能力・・・簡単に言えば『減少関数』が反転した能力なんだけど、『全能増幅アップグレード 』っていう触れた人の力などを増幅させる能力を今回コピーして、声量を増幅させたんだね。」
もはやツッコミどころしかなくて、俺はフリーズしていた。そんな俺に容赦なく、
「あ、犬兎君。これ、耳栓。つけておいて。」
「え?」
俺はいきなり渡された耳栓をつけるしかなかった。すると次の瞬間。
「能力解除。」
「百姫はまだお嫁にぃいいいいいい!?」
今度は急に馬鹿でかい声が部屋全体に響いた。俺は耳栓のおかげであまりダメージは無かったが、その声を発した本人はどうだろう。自分の声で鼓膜にダメージを与えてしまったのではないだろうか。
さすがにこうなった原理は理解できる。『減少関数』で減少した声量を『全能増幅』で無理やり増幅させていたが、有栖さんが『減少関数』を解除したことによって声量の減少分はなくなり、『全能増幅』の増幅分が普段の声量に加算されている状態になり、あんなでかい声を発生したのだろう。
「何と言うか・・・見事に有栖さんの手のひらの上で踊ってたな・・・」
自分の声で気絶してしまった深夜さんは放っておいて、今度は有栖さんが俺に話をする。
「まあ、さっき言ったことは割と私は本気だからね?」
すっきりした表情で満面の笑みを浮かべて再び爆弾発言。
「いや・・・その・・・本人がいないところでそういう話はよくないかと・・・」
俺はなんとかその場を切り抜けようと必死で言葉を考えるが、なにもいい言葉は浮かばず、しゃべり方もたどたどしくなってしまった
しかし、その言葉を聞いた有栖さんは
「まあ、いいんだけどね。そんなことより私から犬兎君に依頼したいことがあるんだけど。」
と向こうから話を変えてきた。表情は真剣そのものだ。この人は深夜さんみたいなことにはならないと願いたい。
そんなことを考えながら有栖さんの目を見て話を聞く。
「犬兎君、百姫の専属護衛になってよ。」
「え?」
確かに深夜さんの時のようなことにはならなかった。だが、俺を困惑させるには十分すぎる内容だった。
「ほら、昨日だって百姫の命が狙われていたわけだし、これからもこんなことが無いとは限らない。そうなったとき、『銀狼』は表立って動けない。トップがあの人だからね。変に相手が自分の娘だからって言われたらどうしようもない。まあ、百姫のライブとかを見に来た人たちがあまりにも多くて被害が想像もつかないレベルだったり、犯人側が大々的に告知でもしたりしたらこっちも動かせるんだけど、不確定な状況下で不用意に動くことができないってのが現状。だからこそ君たちのような『組織』があって、そこに依頼してるんだけどね。」
確かにその通りだ。こういう公開組織は世間体というものを気にしなければならないから面倒なのだ。
「正直、私だってあの子の母親だし、心配になるから、『銀狼』の誰かを護衛にしたいけど、それこそ問題になる。だから犬兎君、一兎君と歌恋ちゃんの子どもである君に依頼したいの。」
不安そうな表情を浮かべながら頼み込んでくる有栖さん。『銀狼』は多くの人達を守ることはできても、特定の個人は守れない。そういった意味では俺達のような日陰者が適任なのだろう。だが、これは俺の一存では決められない。少なくとも、俺の上司である颯真には相談しなければならない。
「・・・わかりました。でも、俺は組織の中じゃ下っ端なので、上司に確認を取らないと・・・」
俺は申し訳ないと思いながらそう告げると、
「考えてくれるだけでもいいよ。ありがとう。」
と、苦笑いをして答えた。
微妙な空気が流れる中、俺はふととあることを思い出した。
「あ、そうだ、深夜さんにお願いいしたいことがあったんですけど・・・まだ気絶してますかね?」
俺がそう口にすると背後から
「僕ならこの通り、ピンピンしてるよ。」
と深夜さんの声。
「うわっ!」
俺は驚いて振り向いた。するとそこには深夜さんの姿が・・・
というか、この夫婦は誰かの背後をとらないと気が済まないのだろうか。
「で?なんだい?僕にお願いって。」
何事もなかったかのように平然とした表情を浮かべる深夜さんにすこし戸惑いながらも俺は頼みたかったことを言ってみる。
「調べ物をしてほしいんですけど・・・」
「調べ物?それなら『白鷺』の方に定常業務の傍らでやってもらえば大丈夫だけど・・・内容によるかな。」
先程とは打って変わって真面目で冷静な雰囲気を纏う深夜さんがそう言った。おそらく、これが仕事モードというやつだろう。
「その、調べてもらいたいことなんですけど、神話生物の力を人間に付与する実験について調べてほしくて・・・首謀者とか、その関係者とか、何でもいいから情報が欲しくて・・・」
俺は深夜さんに頭を下げてそう頼んだ。すると、
「わかった。調べてみよう、その代わり、百姫の護衛の件、頼んだよ。」
と笑顔で言ってきたので俺は
「聞いてたんですね。わかりました、やれるだけやってみます。」
と、どこから湧き出てきたのかもわからないような自信を持ってそう誓った。