冷たい鉄格子の中。俺は目を覚ます。
何も覚えてない。名前も、住んでいた場所も何もかも。俺は全ての記憶を失っていた。
ただ残っているのは異常なほどに与えられた知識のみ。
自分の存在すら認知できないまま、鉄格子の扉が開かれ、そこから複数の人間が入ってきて、俺の腕を強引に引っ張る。そして俺は引っ張られるままついていく。
部屋からだされた俺はここがどこなのかを確かめるためにあたりを見回していると、ふと、俺が入っていた鉄格子の隣の鉄格子の中に目が行った。そこには薄汚い白い服(俺も同じ物を着ている)を着た、ぼさぼさした長い銀髪の女の子だった。なぜか俺はその子からしばらく目が離せないでいた。そして決意したのだ、この子は絶対に救って見せると。
「・・・・・・・・・さま。」
声が聞こえた瞬間、世界が歪み始める。
「そ・・・・・・さま。」
世界がどんどん暗転してゆく。暗くなりきったところで、声がはっきり聞こえる。
「颯真様。」
そして俺は再び目を覚ます。ここは俺の家だ。それを認識すると同時に俺は体を起こす。
「おはようございます。颯真様。」
声のする方を見てみると先ほどの夢に出てきた銀髪の子が黒いメイドブリムとメイド服を着て、きれいにケアされた髪をストレートロングに整え、その青い双眼で俺を起こしに来ていた。
普通ならこれが夢だと思うかもしれない。だが、幸いなことにこれは現実だ。
「ああ、おはよう。メリッサ。今日もすまないな、起こしてもらって。」
「いえいえ、お気になさらず、これも私の役目ですので。」
笑顔でそんなことを言ってくる彼女の名は『メリッサ・スチュアート』。今は俺のメイドとして働いてくれている。俺にとっては大切な家族のような存在だ。
「それでは颯真様、着替えが終わったらダイニングに来てください。私は朝食の用意をしておきますので。」
そう言ってメリッサは部屋からでていった。それを確認した後、俺は着替え始める。
俺の名前は『鳴神颯真 』。本当の名前はわからない。俺はいわゆる記憶喪失というやつらしい。颯真という名前はメリッサにもらったものだ。自分が名付けたからというのもあって、メリッサは俺のことをよくあるメイドのように『ご主人様』などとは呼ばず、『颯真様』と呼んでくれている。
俺は鏡の前に座り、一瞬俺の赤い目と目が合う。そしてそのまま髪の毛をセットする。俺の髪は長い赤髪だ。まあ、俺の保有している能力の特性上、この長い赤髪も本来の俺の姿かはわからないが・・・俺はこの赤髪を一つにまとめ、耳の後ろあたりでヘアゴムを使い結ぶ。いわゆるポニーテールという結び方だ。
髪をセットし終えた俺は自室を後にし、メリッサの待つダイニングへと歩を進める。
ダイニングに着くと、ちょうど朝食の準備を終えたメリッサが俺を迎えた。
「あ、颯真様、ちょうど準備が終わったところです。冷めてしまう前に食べてしまいましょう。」
優しい微笑みを浮かべながらメリッサは食卓の椅子に座る。
俺もそれと連動するように座る。そして俺は手を合わせてこう言う。
「それじゃあ、いただきます。」
「いただきます。」
メリッサも俺の後に続いてそう言った。
「颯真様、本日の朝食はフレンチトースト、焼きベーコン、サラダ。紅茶はダージリンとなっています。」
メリッサが今日の朝食の解説をしてくれる。別に解説などしなくてもメリッサの料理はなんでもおいしいから個人的には必要ないとは思っているが、かれこれ三年くらいこういった生活をしている。もうこの解説も恒例となっているくらいだ。
「うん、おいしい。」
俺がそう言うと、メリッサは心底嬉しそうに微笑み、
「それならよかったです。」
と一言だけ。そのあとは二人で軽い雑談をしながら朝食の時間を過ごす。
「颯真様、本日の予定は万事屋だけですか?」
「ああそうだな。」
雑談は今日の予定へ向かった。万事屋というのは俺とメリッサがやっている別名なんでも屋という仕事で、探偵に近いようなことをしている。依頼人からの依頼をこなし、報酬として金をもらう。それが俺たちの仕事の内容だ。
「ごちそうさまでした。」
そんな会話をしているうちに俺は朝食食べ終え、両手を合わせてそう言った。
「お粗末様でした。」
俺の挨拶に反応するようにメリッサがそう言った。粗末ではなかったと否定したいところではある。
「それではお皿をかたづけてしまいますね。」
メリッサが手際よく食器をかたづける。その様子を俺が眺めていると、
『ピンポーン』
チャイムが鳴る。メリッサは食器を洗っているので俺が玄関へ行く。
「やっほー!颯真君。」
チャイムを鳴らした人はミディアムの茶髪に緑色に輝く瞳を持ったベージュのジャケットを着た女性だった。
「ああ、翼さんか。」
彼女は『鳴神翼
』。記憶を失った俺を養子として引き取ってくれた俺の義母だ。義母とは言っても年齢は三十五歳で、推定された俺の年齢、約二十五歳とは十歳ほどしか変わらない、まだまだ若い女性だ。ちなみにメリッサは二十一歳だ。
「その反応は何?私じゃ不満だった?それとも、メリッサちゃんとの幸せな時間を邪魔されたくなかった?」
機嫌の悪そうなムスッとした顔からからかうようにニヤニヤと笑みを浮かべる。表情筋が忙しそうだ。
まだまだ若いと言ってもこういった絡みはおばさん臭いと思う。
「なんでもいいけど、要件があるなら早くしてくれないか?」
俺がそう急かすと、翼さんは
「まあ、そうだね、とりあえず中で話そうか。」
そう言って、翼さんは俺の家の中へと入っていった。
俺は翼さんをリビングに招く。片付けがキリのいいところまで終わったメリッサもついてきた。俺の家のリビングには少し大きい机を囲むように三つのソファが並べられており、ソファが置かれていない面にはテレビがある。ここは庭に面した場所なので、開放的な窓から庭を覗くことができる。そんな我が家のリビングのソファに俺が腰かける。その隣にメリッサがちょこんと座ってくる。その姿が可愛いと思ってしまった。そして翼さんは向かい側のソファに座る。今の俺たちは机を挟むように対面のソファに座っている。
「それで?なんの用だ?」
俺が改めて問うと、翼さんは先ほどのめんどくさい態度を感じさせぬような表情になり、
「単刀直入に言うよ。颯真君、いや、『ノーフェイス』に頼みたい『仕事』があるの。」
翼さんの言う『仕事』というのは俺とメリッサの本業の仕事だ。万事屋はあくまで副業というわけだ。
俺たちの本業は『秘密結社オルトロス』の構成員だ。世界の均衡を保つ為に活動している組織で、目的の為なら手段を選ばず、違法なことにも手を染める。そんな組織だ。ちなみに、この組織には複数の班があり、その中でも代表的なものが『破魔班』『虚影班』『神行班』だ。俺はその中の『破魔班』の班長を務めている。いわゆる幹部という立ち位置に俺はいる。
『ノーフェイス』というのはその組織での俺のコードネームだ。
「おい、ちょっと待て、『ノーフェイスに』って言ったな?『サーヴァント』にはないのか?」
『サーヴァント』はメリッサのコードネームだ。
俺が姿勢を前のめりにして食い気味に聞くと、翼さんは申し訳なさそうに首を縦に振った。
「うん。上からの命令でね。今回は単独任務ってことになってるの。」
単独任務。とある理由によりかれこれ一年近く俺に回されなかった任務だ。
「なんでそんな任務が颯真様に回ってきてるんですか?そこまで無能の集まりじゃないでしょう。」
と、俺に単独任務が回ってこなくなった原因のメリッサが冷ややかな目と声でそう言った。
「ゴメンナサイ。」
そんなメリッサの態度に翼さんが怯えたように即座に謝る。
「メリッサ。翼さんが任務を斡旋してるわけじゃないんだから、あんまり威圧するなよ。」
さすがに不憫だと思った俺がメリッサを一旦落ち着かせる。
かつて、俺が遠くの県で泊りがけの単独任務を受けたとき、俺が長い時間いないのを不安に思い、そのストレスが溜まりに溜まったメリッサは倒れてしまったらしい。メリッサはとある事件が原因で俺に対して『フェティッシュ』と呼ばれる一種の依存症のようなものを発症してしまった。間違いなくそのせいで俺がこのままいなくなってしまったら・・・と考えてしまった結果だろう。まあとにかく、そのようなことがあった為、メリッサに不安を与えない『秘策』を用意し、俺に単独任務を回すことは極力避けようということに幹部会議でも決まったのだが・・・
「い、いやぁー思いのほか今回のターゲットが警戒強くてね。複数人で捕まえようとするとすぐに転移のセフィラム能力で逃げちゃうんだよ。」
翼さんが若干冷や汗をかきながらそう説明した。
セフィラム能力というのは今から五十年前に発見されたとされる超能力のことで、重力操作、精神感応、身体強化などなど、その形態は人それぞれで、非常に強力な力を使うことができる。今回のターゲットはテレポートの使い手なのだろう。
「セフィラム能力か・・・それだとこっちから探知できないから面倒だな。魔術ならメリッサやらそこら辺の魔術師にでもやらせりゃ行けるもんな。」
俺が顎に指をあてながらそう考えたことを言う。考えたというか、このことに関しては俺たちのような組織の間では一般常識のようなものだ。魔術と呼ばれる、発動者自身及び大気中の魔力を使用し、不思議な力を行使する術があるのだが、それは使用すると魔術を使用した痕跡が残り、後を追うことができる。まあ、メリッサや一部の達人レベルの魔術師であればその痕跡すらも残さないのだが、今回は関係ない。セフィラム能力に関しては使った痕跡が残ることが無いのだ。
「上の考えだとね、バレる前に速攻で相手を全滅させるだけの力を持つ存在がこの任務を遂行する必要があるってことらしいの。それに該当するのが組織の最高戦力ともいわれる颯真君なんだよ。」
翼さんは終始申し訳なさそうに説明をしていた。このことに関しては彼女は悪くない。むしろ、頑張って俺たちに譲歩しようとしてくれた側だろう。だから俺は、代替案を思い付いた。
「翼さん。そんなに申し訳なさそうな顔をしないでくれ、あんたがそんなんじゃこっちの気が狂う。それに、全ての問題を解決できる最善手を思い付いた。」
俺が自信満々にそう言うと、翼さんとメリッサが目を見開く。その目は驚きと期待に満ちていた。
「本当なんですか?颯真様。」
メリッサが期待をしながらも不安そうな表情を浮かべ、俺の顔を見つめる。それに対して俺は彼女を安心させるつもりではっきりと言い切る。
「ああ、本当だ。」
その言葉を聞いた瞬間、メリッサはホッとしたと言わんばかりに肩の力を抜いた。その姿を見た俺もまた安心した。そして俺は代替案の説明をする。
「そもそも、なんでド三流のお粗末な作戦を出せんようなバカの命令を聞かないといけないんだよ。まず大前提として俺一人じゃ絶対とは言わないが無理だ。八割の確率で一人くらいは逃がすだろう。それではリスクが高すぎる。だから、メリッサと一緒にやる。今から話す作戦はほぼ確実に任務を成功できる最適解だ。翼さん、上に言っておけ、この任務、『破魔班』が預かりますってな。『破魔班』なら、俺が指揮を執ったっていいだろう?上官面してイキってるアホどもには作戦に口を出させるな、これからもだ。」
俺がそう言うと、翼さんは呆れたようにため息を吐き、軽く微笑んだ。
「そうだね、颯真君より頭がいい人間なんていないもんね。」
そうして、俺たちの命令無視の任務は始まった。